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東本願寺, 目次, 歴史, 境内, 文化財, 別院, 行事, 不祥事, 所在地, アクセス, 開門, 閉門時間, 脚注, 参考文献, 関連項目, 外部リンク, 本願寺の分立, 江戸時代以後, 昭和以降, 飛地境内, 国宝, 重要文化財, 国指定名勝, 国登録有形文化財, 平時行事, 年中行事, 注釈, 出典,

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東本願寺 (47), 重要文化財 (27), 本願寺 (27), 真宗大谷派 (20), 真宗本廟 (11), 西本願寺 (10), isbn (7), 1984 (7), 明治44年 (7), しかし (7), 宗務所 (6), 淡交社 (6), 御影堂 (6), 1911年 (6), 建造物 (5), 阿弥陀如来 (5), 浄土真宗 (5), 1603 (5), 阿弥陀堂の御修復に向けて (5), 2009年 (5), 2009 (5), を参照 (5), である (5), 阿弥陀堂 (5), 1880年 (5), 教行信証 (4), 真宗大谷派宗憲 (4), 帰敬式 (4), 真宗本廟収骨 (4), 紙本著色 (4), 渉成園 (4), 1895年 (4), 明治28年 (4), 内陣本間 (4), 御厨子 (4), 非表示 (4), サイドバーに移動 (4), コモンズ (3), wikipedia (3), 本願寺派 (3), 宗教法人 (3), 1987 (3), 1881 (3), 1591 (3), 浄土真宗本願寺派 (3), 1321 (3), 大谷本願寺 (3), 本願寺の歴史 (3), 宗教法人法 (3), 真宗大谷派宗務所出版部 (3), 8341 (3), 1977年 (3), 伊藤延男 (3), 2026年7月15日閲覧 (3), 107 (3), 2003年 (3), 非公開 (3), と呼ぶ (3), 1987年 (3), 京都駅 (3), 所在地 (3), しんらん交流館 (3), 12日 (3), 真宗本廟視聴覚ホール (3), 手水屋形 (3), 阿弥陀堂門 (3), 御影堂門 (3), 坂東本 (3), 2004年 (3), 文化財 (3), 菊の門 (3), 大谷祖廟 (3), 2015年 (3), 平成27年 (3), にかけて大規模な修理が行われた (3), 平成21年 (3), 明治13年 (3), 御真影 (3), その後 (3), 個の言語版 (2), 目次の表示 (2), 非表示を切り替え (2), cinii (2), インド (2), 仏説無量寿経 (2), 浄土三部経 (2), 釈迦如来 (2), 大谷派 (2), 本山本願寺 (2), 浄土真宗大谷本願寺派 (2), 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺 (2), 大谷暢裕 (2), 東本願寺分派後 (2), 東本願寺分派 (2), 東西分立後 (2), 1603年 (2), 本願寺の東西分立 (2), 東西分立前 (2), 第十三条 (2), 2001 (2), 七条本願寺 (2), 六条門跡 (2), 1585 (2), 1583 (2), 1532 (2), 大坂本願寺 (2), 1295 (2), 外部リンク (2), お東騒動 (2), 大谷派御歴代 (2), ウィキメディア (2), 関連項目 (2), 古寺を巡る (2), 第27号 (2), 小学館 (2), 2007年8月 (2), 978 (2), 2005年 (2), 真宗大谷派宗務所 (2), 真宗の教えと宗門の歩み (2), 第3版 (2), 参考文献 (2), 2017年4月26日 (2), 昭和52年 (2), 浄土真宗ドットインフォ (2), 名古屋 (2), 121 (2), 木場明志 (2), 阿弥陀堂の概要 (2), 112 (2), 真宗本廟奉仕 (2), 8メートル (2), 瓦葺き替え工事 (2), 単位宗教法人 (2), 正式名称 (2), 62年 (2), 閉門時間 (2), 京都駅より徒歩約10分 (2), アクセス (2), 同朋会館 (2), 本願寺聖人伝絵 (2), 本願寺聖人親鸞伝絵 (2), 不祥事 (2), 28日 (2), 11月21日 (2), 前後各3日を合わせた7日間 (2), 期間中に永代経総経が厳修される (2), 彼岸会 (2), 年中行事 (2), 東本願寺日曜講演 (2), しんらん交流館定例法話 (2), 真宗本廟法話 (2), 平時行事 (2), 国登録有形文化財 (2), 国指定名勝 (2), 鎌倉時代作 (2), ことばがき (2), 絹本著色 (2), 聖人像 (2), 安城御影 (2), 2023年 (2), 附指定 (2), 築地塀 (2), 内事門 (2), 玄関門 (2), 能舞台 (2), 桜下亭 (2), 宮御殿 (2), 黒書院 (2), 白書院 (2), 全6冊 (2), 正式名称は (2), 参拝接待所 (2), 位置情報 (2), 飛地境内 (2), が安置される (2), 12月に完了した (2), 2024年 (2), 令和6年 (2), 明治42年 (2), 江戸時代 (2), 1909年 (2), 亀岡末吉 (2), 徳川家康 (2), 1604年 (2), 大正12年 (2), 1923年 (2), 幸野楳嶺 (2), 1867年 (2), 昭和9年 (2), 平成16年 (2), に起工され (2), に再建された (2), であり (2), 建築規模は (2), 参拝席に分かれている (2), 十字の間 (2), 九字の間 (2), と呼び (2), によって描かれている (2), 見真大師 (2), 1981年 (2), の絵像 (2), 13年 (2), の絵像が (2), の絵像が奉掛される (2), 昭和以降 (2), 1823年 (2), 江戸時代以後 (2), この時 (2), 1602年 (2), 1592年 (2), 本願寺の分立 (2), お東さん (2), 下京区 (2), 京都市 (2), 9910167 (2), 135 (2), 7584556 (2), 北緯34 (2), 9910167度 (2), 東経135 (2), 7584556度 (2), 東経135度45分30 (2), 44秒 (2), 北緯34度59分27 (2), 66秒 (2), 履歴を表示 (2), ツール (2), ログイン (2), アカウント作成 (2), ヘルプ (2), メインメニュー (2), 話題を追加, モバイルビュー, cookieに関する声明, 開発者, 行動規範, 法律および安全に関する連絡先, 免責事項, ウィキペディアについて, プライバシー, ポリシー, テキストは, のもとで利用できます, 追加の条件が適用される場合があります, 詳細については, を参照してください, 利用規約, クリエイティブ, 継承ライセンス, ページは, によってレンダリングされました, parsoid, 最終更新, 2026年7月17日, 日時は, で未設定ならば, utc, 個人設定, 隠しカテゴリ, ウィキデータにある座標, 17世紀の日本の設立, かつては登録有形文化財の重要文化財, 日本の国宝, 古文書, 京都府の登録有形文化財, 京都市の重要文化財, 1911年竣工の日本の建築物, 1895年竣工の日本の建築物, 1602年設立, 14世紀設立, 京都市下京区の寺, 阿弥陀如来を本尊とする寺, 真宗大谷派の寺院, カテゴリ, から取得, https, org, index, php, title, oldid, 110310765, yale, lux, その他, research, books, 学術データベース, アメリカ, 国立図書館, viaf, 典拠管理データベース, ウィキポータル, 選択集, 往生要集, 観経疏, 浄土論註, 往生論註, 浄土論, 往生論, 十住毘婆沙論, 易行品, 主要注釈書, 妙好人, 金子大栄, 曽我量深, 鈴木大拙, 山崎辨榮, 清沢満之, 小林一茶, 慶滋保胤, 永明延寿, 廬山の慧遠, 十大弟子, 関連人物, 般舟三昧経, 支婁迦讖, 鳩摩羅什, 仏説阿弥陀経, 畺良耶舎, 仏説観無量寿経, 康僧鎧, 末法思想, 称名念仏, 基本教義, 無辺身菩薩, 大威徳王菩薩, 大自在王菩薩, 定自在王菩薩, 三昧王菩薩, 日照王菩薩, 月光王菩薩, 衆宝王菩薩, 華厳菩薩, 光明王菩薩, 山海恵菩薩, 金剛菩薩, 金蔵菩薩, 宝蔵菩薩, 徳蔵菩薩, 虚空蔵菩薩, 陀羅尼菩薩, 獅子吼菩薩, 白象王菩薩, 法自在王菩薩, 普賢菩薩, 薬上菩薩, 薬王菩薩, 大勢至菩薩, 観世音菩薩, 浄土宗, 融通念仏宗, 天台宗, 天台浄土教, 日本の主な宗旨, 地域別仏教, の一派, 大乗仏教, 浄土教, 東山上花山, 東本願寺派, 大谷光道, 嵯峨25, 大谷暢順, 東山25, 大谷光見, 東本26, 東本25, 東26, 東25, 東24, 東23, 東22, 東21, 東20, 東19, 東18, 東17, 東16, 東15, 東14, 東13, 東12, 大谷光淳, 西25, 西24, 西23, 西22, 西21, 西20, 西19, 西18, 西17, 西16, 西15, 西14, 西13, 西12, 本願寺歴代, 東西分立後も, 1987年に真宗大谷派が, の解散の登記を行うまでは, が正式名称である, 真宗大谷派は, 1987年以降も, の別称として, を用いている, は寺基移転を表し, は寺基移転を伴わない名称変更などを表す, 2005, 京都市右京区, 1996, 山科区上花山, 本願寺文化興隆財団, 東京本願寺, 1981, 浄土真宗東本願寺派, 1988, 信淨院本願寺, 堀川六条, 天満本願寺, 貝塚本願寺, 1581, 鷺森本願寺, 1580, 石山本願寺, 1483, 山科本願寺, 1465, 大谷影堂, 1272, 大谷廟堂, 本願寺寺基の移転と分立, 東本願寺ストリートビュー, 旧twitter, otaniha_pr, 東本願寺がかつて保有していた土地に立っている, 墓所は, 上記の経緯から東本願寺当主と親交があり, 名古屋出店, のちの, の際も援助を受けた, 金戒光明寺, 中林仁一郎, は東本願寺から借地していたが, 京都近鉄百貨店時代の1992年に買収して以降, は近鉄グループ保有地に立っていた, 近鉄百貨店京都店, 京都ヨドバシ, 日本の寺の画像一覧, 日本の寺院一覧, 本願寺街道, 有珠新道, 本願寺道路, 東本願寺の時間, お東さんのろうそく, とも呼ばれる事もあるが, 本来は灯台をモチーフにしたものである, 京都タワー, コモンズには, に関連するメディアがあります, 藤島達朗, 本廟物語, 東本願寺出版部, 1984年8月, 古寺巡礼, 473, 03510, 井沢元彦, 大谷暢顯, うちのお寺は真宗大谷派, 双葉社, 575, 29813, 千葉乗隆, ナツメ社, 8163, 3822, 図解雑学, 2006年, 0355, 2000年, 0294, 2007年, 0273, http, www, sankei, com, west, news, 170426, wst1704260060, html, 産経新聞, 2017年4月27日閲覧, 残業代未払い, 違法な労使覚書を40年超締結, 職員に甘えていた, nhk, 2017年4月26日時点の, よりアーカイブ, 2017年4月26日閲覧, オリジナル, 僧侶にサービス残業, 東本願寺の重文差し押え, 手形不渡り一億円分, 朝日新聞, 1月14日朝刊, 13版, 23面, おかみそり, 文化庁報道発表, 2023年6月23日, 文化審議会の答申, の指定, 令和5年9月25日文部科学省告示第108号, 令和5年9月25日文部科学省告示第109号, 文化庁サイト, 2019年5月17日発表, の指定について, 令和元年9月30日文部科学省告示第71号, 交流館へのアクセス, 交流館施設案内, 御影堂門の, 釈迦三尊, 神野金之助重行, 神野金之助翁伝記編纂会, 1940年, 349, 355頁, 紅葉舎類聚, 富田家の歴史, 富田重助, 1977年9月16日, 415, 419頁, 国立国会図書館デジタルコレクション, 揖斐川町史, 通史編, 公益社団法人, 2023年11月, 第58回, 京の冬の旅, 非公開文化財特別公開ガイドブック, 京都市観光協会, 環境に配慮した御修復, 御影堂瓦再資源化の取り組みを参照, 御影堂の修復について, 御影堂の修復の概要を参照, 114, 120, より引用, 100, 草野顕之, 御真影の還座に伴い御厨子を府中刑務所へ, 南御堂, 2010年4月1日, 真宗大谷派難波別院, 阿弥陀堂の荘厳についての阿弥陀堂正面奉掛図を参照, 第三章, 境内のみどころ, 111, 108, 池田正一郎, 日本災変通志, 新人物往来社, 2004年12月15日, 693頁, 404, 03190, 106, 101, 東本願寺の歴史, 年表などの文献には, 現住所の, 烏丸七条, ではなく, 烏丸六条, と記述される, p158, お西さん, 御影堂門上層部は, の日程により参加者に公開するため完全非公開ではない, 以前は報恩講などの行事の際に公開されていたが, 上層への階段の傾斜が急で危険であることなどから, 平時は非公開としている, 本山読経とは, 本山永代経, 本山申経, のこと, の画像で影のように見えているのが明治瓦である, 修復後, 2010年3月撮影, 総工費は, 瓦葺土再資源化費用が含まれる, 正式ではないが, 参拝席を, と呼ぶ場合もあり, その場合は本来の外陣を, 床面積比, 柱に囲まれた部分の床面積の比較である, 御影堂の床面積は2, 892, 6平方メートル, 桁行63, 6メートル, 梁行45, 5メートル, であるのに対して, 阿弥陀堂は1, 346, 5平方メートル, 桁行39, 梁行33, 後堂などは面積に含まない, 瓦の3割は, 再利用している, 真宗大谷派のこと, 仏寺とそれに付属する別舎をあわせた称, 大辞泉, 宗教的儀式を執り行うための建物, 大辞林, よって寺院の定義に, 法人格の有無は無関係である, 西本願寺の場合は, が包括宗教法人, が被包括宗教法人である, 宗門機構組織略図表, 宗教法人法に基づく, 解散の登記, 第57条合併の登記, 第58条解散の登記, の正式な法人名, 大谷派の公式ホームページ, 出版物などでは, の通称を用いており, と併用している, までは, が正式名称であった, 脚注の使い方, 11月, 6時20分開門, 16時30分閉門, 10月, 5時50分開門, 17時30分閉門, 烏丸七条バス停より徒歩約1分, 京都市営バス, より徒歩約17分, 七条駅, 京都市営地下鉄烏丸線, より徒歩約5分, 五条駅, 烏丸線, 京都市営地下鉄, 京都線, より徒歩約10分, 経路案内, 東海道新幹線, 奈良線, 嵯峨野線, 山陰本線, jr京都線, 琵琶湖線, 東海道本線, 京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754, 平成29年, 4月26日, 東本願寺の職員2人に過去数年間, 多い時で月130時間以上, をさせていたとし, 未払いの残業代約660万円を支払ったことを明らかになった, 2人は寺の研修施設, に宿泊する門徒の世話を担当する, と呼ばれる職員で, 寺によると, 1973年, 昭和48年, には残業代を一切支払わないとする違法な取り決めをしていた, 全国の教務所でも残業に必要な, 第36条に基づく労使協定, 三六協定, を結ばずに, 職員に違法な残業を行わせていたこと, 本山宗務所の残業についても労使協定を結んだ, 真宗大谷派職員組合, 協定が法的効力を持つために必要な, 労働者の過半数で組織する労組, に該当しないため本山の残業も労基法に抵触している可能性があること, 昨年12月に本山を管轄する京都下労働基準監督署から, と呼ばれる任意の立ち入り調査を受け, 職員の労働時間を適正に管理していないとして行政指導を受けたことが明らかになった, 労働基準法, サービス残業, 2017年, 1月13日, のトラブルに巻き込まれ, を受ける, 差押え, 歳末昏時勤行, 12月31日, お煤払い, 12月20日, 御正忌報恩講中の主な行事, 御満座, 結願晨朝, 結願日中, 坂東曲, ばんどうぶし, 27日, 結願逮夜, 御俗姓, けちがんたいや, 25日, 中晨朝, 中日中, 御伝鈔, ちゅうにっちゅう, 24日, 中逮夜, 22日, 初晨朝, 初日中, しょじんじょう, 21日, 初逮夜, しょたいや, 宗祖親鸞の祥月命日である11月28日までの1週間に勤められる法要で, 年中行事の中で最重要行事とする, 御正忌報恩講, 秋分の日, 7月14日, 15日, 8月13日, 16日, 盂蘭盆会, 蓮如上人御影吉崎別院御帰山式, 5月9日, 上人御影吉崎別院御下向式, 4月17日, 立教開宗記念法要, 4月15日, 春の法要中の主な行事, 員物故者追弔会, 帰敬式受式物故者追弔会, 相続講, 全戦没者追弔法会, 師徳奉讃法要, 親鸞聖人御誕生会, 春の法要, 4月1日, 春分の日, 修正会, 1月1日, 日程は, 変更になる場合がある, 毎週日曜9, 大谷ホール, 夕事勤行, すみれの間, 27日は10, 00に, 13日, 28日は14, 30に時間を変更して開催, 28日は取扱いなし, 28日はなし, 28日は御影堂にて開催, 27日は取扱いなし, 27日はなし, 晨朝法話, 12月27日, 31日はなし, 晨朝勤行, 特別な儀式, 行事のない日の予定, 法要などが営まれる日は, 日程および時間を変更する場合がある, 難波別院, 名古屋別院, 長浜別院大通寺, 五村別院, 玄関門北側築地塀, 菊の門北側築地塀, 御影堂門北側築地塀, 御影堂門南側築地塀, 阿弥陀堂門南側築地塀, 一念多念文意, 親鸞筆, 弘願本, 各巻末に, 釋弘願, が署名されているため, 弘願本と通称される, 1346年, 康永本, 上2巻は康楽寺円寂, 下2巻は康楽寺宗舜による筆, 1343年, あんじょうのごえい, 83歳の頃の影像とされる, 蔵の原本は, 真宗本廟東本願寺内事, 令和5年, 9月25日指定, 鶴の間, 日本館, 真宗本廟東本願寺, 20棟, 百間廊下, 十三窓土蔵, 寺務所門, 表小書院, 議事堂, 現東本願寺出版建物, 大玄関及び大寝殿, 宮殿1基, 厨子1基, 造合廊下1棟, 二筋廊下1棟, 紙本墨書, 真宗大谷派所蔵本は, もとは, の坂東報恩寺が所蔵していたため, と呼ばれ, 現存する唯一の, 親鸞真蹟本である, 27年, に指定, 16年, 劣化の激しい同本を修復, 1952年, 鎌倉時代, 顕浄土真実教行証文類, 修復工事前の御影堂, 真宗大谷派の親鸞の墓所, 国指定, 別名は枳殻邸, 境内の東にある飛地境内である, 池泉回遊式庭園, 昭和11年, 国の名勝に指定される, 1936年, 京都教務所, に開設された教化センター, を挟んで境内の北にある, が開催される, 所在地は下京区諏訪町通六条下る上柳町199, 花屋町通, 高さ約27メートルの入母屋造, 本瓦葺き, 形式の, の扁額を掲げる, 京都三大門, の1つであり, 木造建築の山門としては世界最大級であり, また木造建築の二重門としては日本一の高さといわれる, 坐像を中央に, 脇侍として向って右側に, 左側に, 立像の三尊が安置され, の正依の経典, の1つである, の会座をあらわす, その手前には, 天井画は竹内栖鳳によって飛天舞楽図が描かれる予定であったが, 結局描かれることはなかった, 原寸大の下絵が残されている, 平成25年, 御影堂門の修復が開始され, 2013年, 仏舎利, 阿難尊者, 弥勒菩薩, 知恩院, 東福寺, 二重門, 令和7年, 2025年, 総合案内所, 案内所としての機能の他に, 休憩所や喫煙所, 東本願寺お買い物広場, などが入っている, 御影堂修復事業の一環として改修される, 境内の諸施設を統合管理する, 防災センター, が併設されている, 正背面に, を設ける, 境内で, に一番近く, 段差の無い, の門である, 江戸時代中頃に, の名称で建てられる, 令和3年, 令和4年, 2022年, 2021年, バリアフリー, 唐破風, 四脚門, 檜皮葺き, 切妻造, 明治27年, 梵鐘は, 平成22年, 2010年, 1894年, 長屋門, 通用門, 東本願寺出版建物, 旧議事堂, 勅使門, 門扉に, があることから菊の門と呼ばれているが勅使門とも呼ばれる, が寄進したが幾たびか火災で焼失した, の親鸞聖人六百五十回忌迄の再建に間に合うよう, の信者2名が勅使門, の寄進を申し出た, 勅使門の設計は, 施工は名古屋南久屋町の鈴木幸右衛門, 金物製作は京都の中村猪之助, 塗工は京都の三上治三郎という当代の第一人者が担当した, 工事は, から開始され予定通り1911年, 2月に完成した, 菊の紋は, の御紋章と定められたので, にお伺いをしたところ, から使用されていたことを認められ, 使用が特別に許可されたいきさつがある, 宮内大臣, 岩倉具定, 宮内省, 明治維新, 菊の紋, 内事部日本館, が棟梁を務めた, 内田仙司, 内事部洋館, の設計, の居宅, 現役の居宅であるため非公開, 武田五一, に建てられたもので, 昭和12年, に現在地に移築した, 鏡板に描かれている松は幸野楳嶺によるもの, 1937年, に親鸞聖人六百五十回御遠忌に際して再建, 来賓の接待などに使用される, 帳台構えや違い棚を設けた書院造で, 建築技師の, らによる独創的な彫刻で飾られた欄間や, の子息の幸野西湖や, ら京都画壇の画家による障壁画で装飾されている, 伊藤鷺城, 森本東閣, 前年に引退した現如上人, の隠居所として建てられた, の霞ヶ丘別邸の一部を, 昭和14年, に移築したもの, 内部の襖は岐阜別院にあった, の襖絵を移設したもの, 円山応挙, 1939年, 大谷光瑩, 障壁画は加藤英舟らによるもの, もとは慶応3年, に建てられた, の一部である, に下賜されたが部材のまま置いていたところ, 明治34年, になって現在地に建てられた, 1901年, 大宮御所, 大玄関, 東本願寺境内最古の現存建造物である, 大寝殿, 公式行事や儀式などに使用される, 座敷の奥は全面上段となっており, 床の間の壁や襖, などには, 風竹野雀, 古柳眠鷺, 全て1934年, が描かれている, 竹内栖鳳, 帳台構え, 1868年, の総合窓口である, 志納所, に替えて建てられた, 須彌壇収骨, 本山読経, の申込, 受付の他, 蔵版の授与, 懇志の受付などの窓口業務を行なう, 平成10年, 蓮如上人五百回御遠忌, の記念事業として, 参拝接待所北側地下に, を増設した, また参拝接待所と視聴覚ホールの間に, 展示ギャラリー, を併設し, 親鸞聖人の生涯に関する常設展示のほか, 季節ごとにさまざまな展示を行っている, 1998年, 1934年, 高廊下, 真宗同朋会運動の一環である, の参加者のための研修宿泊施設, 昭和33年, 11月に着工, 翌年11月に完成, 仏祖崇敬の念を篤くする, 無上仏道を聞き開く, 同信同行の交りを深める, の3つの願いに立って, 真に私自身の人間性を回復することを目的とする, 1958年, 和敬堂, 研修道場, 式務所, 3月から, 12月にかけて大規模修復が行われた, 総工費は約98億円, 御影堂の瓦の枚数は175, 967枚, その内の3割は修復時の検査で合格した瓦を再利用して葺いている, 再利用した瓦, 明治瓦, は風雨に晒されにくい裳階の奥側, 受平瓦, よりも奥に用いられている, 2008年, ごえいどう, 境内のほぼ中心に位置する, で建てられた宗祖親鸞の坐像である, を安置する建物, 屋根は瓦葺きの重層入母屋造, 外観が二重屋根であるため二層建築に見えるが, 下部は, 間口76メートル, 奥行き58メートル, 高さ38メートルで, 建築面積は, を上回る世界最大級の木造建築物であり, 外陣に敷かれた畳は合わせると927畳になる, 堂内は阿弥陀堂と同じく, 内陣は横に7つの室に分かれていて, 中央の間を, 側から, 左側の余間を, 飛檐の間, 同じく右側の余間を, 六軸の間, 新六軸の間, 御簾の間, の中央に須弥壇上を設け, その上に, を置き, を安置する, の左右壇上には歴代門首の絵像が奉掛される, 平時は, 上の中央に, 帰命尽十方無碍光如来, を奉掛し, その両脇に宗祖親鸞と現門首を除く, の絵像を二幅に分けて奉掛する, の床上には, 南無不可思議光如来, が奉掛される, などの法要時は, 奉掛される絵像やその配置などが変更になる, 内陣の障壁画と襖絵は, 御影堂は, 明治22年, 4月より, 大師堂, と呼ばれていた, その由来は, 明治9年, から親鸞に対して, が贈られたためである, 56年, が改正された際, 号が削除され, 同時に大師堂の呼称が取りやめられて御影堂の呼称に復された, 大師諡号, 明治天皇, 1876年, 1889年, 望月玉泉, 報恩講, 九字名号, 十字名号, 大仏殿, 東大寺, 単層建築, 展示物のうち, ジオラマについては, 雪崩災害の歴史, 渡廊下, 阿弥陀堂と御影堂を繋いでいる, 造り合い廊下, とも呼ばれ, ここには明治時代の当寺の再建に関連した, 麻と髪の毛を撚り合わせて編まれた, 巨大な木材を雪の中で運搬するために使用されたと伝わる, 他にも尾神嶽, 尾神岳, 被災の, が展示されている, ジオラマ, 御影堂修復工事中は, 阿弥陀如来像の向って右側に, 御影堂より遷座した宗祖, 聖人の像である, を仮の, に安置し, 左側には, 聖徳太子の絵像, 法然の絵像と六高僧の絵像, が奉掛された, 阿弥陀堂で御真影を安置するために製作された仮の, の講堂の本尊の厨子として利用されている, 21年, 7月1日, 御影堂を覆っていた修復用の素屋根をスライドして阿弥陀堂を覆う, 平成23年, 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌, 法要後, 阿弥陀堂の修復工事が行われ, 工事では耐震補強もなされた, 2011年, 府中刑務所, 七高僧, を取り入れた仏堂で, 立像を安置する, 屋根は瓦葺きの単層, 間口52メートル, 奥行き47メートル, 高さ29メートルである, 床面積比で御影堂の半分以下しかないが, 全国屈指の規模の仏堂である, 堂内は, 内陣の本間中央に, を設け, その壇上の宮殿内に本尊, 本間右側の壇上には, 本間左側の壇上には, 上人御影, 内陣の, から右側の余間を, 北余間, その床上に内側から, 大士御影, 菩薩御影, 和尚御影, 左側の, 南余間, の床上に, 禅師御影, 大師御影, 僧都御影, 北余間には元々, の天牌が奉安されていた, 内陣の襖絵は, 岸竹堂, 羽田月洲, 亀山天皇, 聖徳太子, 須弥壇, 入母屋造, 禅宗様, 同年11月20日, 御影堂御修復完了奉告法要が済まされた, 8月3日に御影堂において真宗本廟御影堂修復竣工式が行われる, 同年9月30日には阿弥陀堂に安置されていた御真影を御影堂の御厨子に戻す, 宗祖親鸞聖人御真影還座式が行われた, 3月4日, 真宗本廟御影堂御修復起工式が行われた, 修復は非解体修理を基本とし素屋根工事, 須弥壇の修復を含む内陣, 外陣等の美装工事, 大虹梁鉄骨補強補強を含む構造補強工事, 耐震補強工事, 土居葺工事, 木工事, 金属工事, 外部鋩金物工事等の大規模修復である, 15年, 11月に宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の特別記念事業の一環として行われる御影堂修復のため, 御影堂に安置している御真影, 宗祖親鸞の坐像, を阿弥陀堂へ移す御真影動座式を執り行う, 御真影は阿弥陀堂の本間右側に新たに設けた仮の御厨子に安置された, これ以降厳密には本願寺と呼ばれる寺院は, 下京においては, 本山の本願寺, のみとなっているのだが, 現在でも真宗本廟の通称として, の名称が引き続いて公式に使用されている, よって現在, 真宗本廟は真宗大谷派が管理する礼拝施設等, の総称であり, 宗教法人法による, ではない, 大谷派の最高規範である, 真宗本廟は, 宗祖聖人の真影を安置する御影堂及び阿弥陀堂を中心とする聖域であって, 本願寺とも称し, の崇敬の中心, 教法宣布の根本道場である, と規定されている, 昭和62年, 12月, 門首が第24代, 当寺つまり, 被包括宗教法人, に基づいて解散の登記が行われ, 包括宗教法人, に吸収合併された, このことを, 宗本一体, という, 合併により当寺は単位宗教法人としての寺院ではなくなり, 宗教法人法による宗教法人の分類については, 法人格を有さない寺院となり, 真宗大谷派が直接管理する寺院とされ, その本山としての, 礼拝施設, となる, そのため, 正式名称が, に変更される, 単位宗教法人と包括宗教法人, 昭和56年, 6月11日, 新宗憲, 宗憲改正にともない, を廃して, を新たに設け, 本願寺住職および管長の役職を廃止した, 詳細は, 52年, 11月2日, が起きる, 東本願寺爆破事件, 明治30年, 当寺が独力で敷設した防火用水道である本願寺水道が完成する, それは, の水を, 水源池から全長4, 6キロメートルの導水管を通じて当寺まで引き込み, 約44メートルもの高低差を利用する自然水圧によって両堂の屋根まで水を供給するというシステムであった, 琵琶湖疏水, 1897年, 10月1日, 2日に阿弥陀堂, 御影堂の両堂の釿, ちょうな, 始式が行われ, その後も多くの門徒の寄進によって, にようやく両堂は落成した, 障壁画等の製作には当時の第一級の職人が参加している, 11月に, より白銀30枚を賜っている, 幕府より5万両の寄進を受けている, 孝明天皇, 1865年, 当寺は江戸時代には4度の火災に遭っており, その火災の多さから, 火出し本願寺, と揶揄された, 当寺が火元となったのは文政6年, 11月15日の火災のみである, 1864年, を発端とする兵火が元となり, 京都市街は, と呼ばれる大火災が発生して両堂以下諸堂が全焼する, どんどん焼け, 禁門の変, 7月20日, 京都市中を襲った大火に巻き込まれて両堂以下が焼失する, 渉成園にあった枳殻邸も焼失している, 今回も幕府より巨木2, 000本の寄進を受けている, 3年後の, に親鸞聖人六百回御遠忌が控えていたこともあってか当寺は頭を悩ましていたところ, 幕府は便宜を図ってくれた, 通常は京都での大工仕事は京都役大工仲間による独占となっており, 木挽三職の田舎職人の入京は許されていなかったが, 今回は特別とされ, 主に北陸地方から当寺の再建のためにたくさんの大工がやってきた, そのために, には早くも両堂は仮堂としてではあるが再建された, 仮堂とはいえその平面規模は焼失以前の両堂と同規模であった, 1860年, 1861年, 1858年, 11月15日に境内からの失火によって鼓楼と宝庫を残して両堂以下が焼失する, 幕府より飛騨国の巨木2, 000本の寄進を受けて, に両堂は再建された, 1835年, 1月の, によって阿弥陀堂, 御影堂の両堂, が焼失してしまう, の本堂を移築して仮本堂とするが, 幕府より, 白川の木材4, 600本の寄進を受けたことにより再建工事が始められ, 寛政10年, 3月に両堂が落成した, 1798年, 飛騨国, 八尾御坊大信寺, 1790年, 天明の大火, 1788年, 寛文7年, に阿弥陀堂の規模を拡大するために再建に着手, 寛文10年, に落成された, 同年には親鸞聖人を祀る, が造立されている, には第8代将軍, 大谷祖廟に隣接している, の境内地1万坪を没収し, そのまま大谷祖廟に寄進している, 長楽寺, 徳川吉宗, 1745年, 3月15日, 1670年, 1667年, に御影堂の規模を拡大するため再建に着手する, の御影堂が桁行31間半であったので, 当寺はそれを超える桁行32間での再建が行われたという, に落成する, 3月28日, 1658年, 1652年, の当寺は, 創立時における家康との関係もあって江戸幕府との関係は一貫して良好であった, そのためか, 18年, には第3代, から1万坪の土地が寄進されている, 寄進された土地は当寺から少し東に行ったところであり, 当寺の飛地境内となった, によって庭園が造られ, と名付けられた, 石川丈山, 1653年, 徳川家光, 1641年, 教如は烏丸七条の地を新たな本願寺, としそこに入ると, 慶長8年, 妙安寺, から宗祖親鸞聖人の自作と伝えられる木像の御真影を迎え入れ, に阿弥陀堂を, 翌慶長9年, に御影堂を建立した, 9月16日, 11月10日, 前橋市, 群馬県, 上野国, 分立当初は准如の堀川六条の, にしもんぜき, などと呼ばれ, 教如の烏丸七条の, 信淨院, 教如の院号, 本願寺隠居, 信淨院の門跡, ひがしもんぜき, などと呼ばれた, 便宜上, 堀川六条の本願寺の東側にある烏丸七条の本願寺が, と通称されたため, 相対的に堀川六条の本願寺も, と通称されるようになった, 慶長7年, を背景に家康は親しくしていた教如に京都, の地を寄進した, これにより, 本願寺は正式に准如, 顕如の三男, 新たに分派してできた教如の東, に分立してしまった, 内では本願寺法主の准如が, において西軍に味方したことから, 准如に代わり教如を本願寺法主にしようとの考えもあったが, 浄土真宗の力を削ぐのに有効との考えから結局分立させることになった, ということになっている, 教如は以前から石山合戦以来の自らの派, 後の大谷派, を有しており, 宗派内部はすでに完全に分裂状態にあった, 関ヶ原の戦い, 江戸幕府, 後陽成天皇, また秀吉の死後, 教如は, に接近するようになった, そこで, 穏健派と顕如の室の, 教如の実母, 顕如が書いた, 留守職譲状, を秀吉に示して, 遺言に従い三男の, に継職させるよう直訴した, この訴えを受けた秀吉は文禄2年, 閏9月12日に教如を大坂に呼ぶと, 今から10年後に弟の准如に本願寺法主を譲るように, との命を下した, 教如はこの命に従おうとしたが, 側近の強硬派坊官たちが秀吉に異義を申し立てたために秀吉は激怒し, 今すぐ退隠せよ, との命が下された, それにより, 同年閏9月16日に准如が新たに本願寺法主を継承し, 教如の第12世は取り消されて准如が第12世となることが決定する, 教如は本願寺北東の一角に退隠させられ, と称せられた, 引退後も教如は精力的に布教活動にいそしみ, 本願寺の中に作った自らの隠居所に阿弥陀堂と御影堂を設けるなどし, を名乗って文書の発給や新しい末寺の創建などを行っていた, このことが後の本願寺分立の萌芽となった, 1593年, 如春尼, 天正20年, 7月には本堂である阿弥陀堂が新築されるが, 依然として, 以来の教団内の内部分裂は継続していた, 同年である, 11月24日, 顕如の入滅にともなって長男の, が本願寺を継承して本願寺第12世となった, 教如は石山合戦で自身とともに, と戦い続けて, に籠城した強硬派を側近に置いて重用し, 顕如とともに, に退去した穏健派は重用しなかったことから, 教団内の対立は激化した, 鷺森御坊, 紀伊国, 織田信長, 石山合戦, 19年, 第11世の, により新たな寺地として, 六条の地の寄進を受けると, にあった本願寺をそこに移転させ, 同年8月には天正14年, 8月に再建した御影堂を天満から移築してここを新たな本願寺, とした, 1586年, 豊臣秀吉, 1591年, の遷化から本願寺東西分立までの歴史の詳細については, ひがしほんがんじ, にある, はなし, しんしゅうほんびょう, 東本願寺の名は, 龍谷山本願寺, に対して東に位置することに由来している, 愛称は, 7月現在の, 2020年, テンプレートを表示, 京都市中心部における位置, 公式サイト, までは本願寺, 正式名, 本願寺第8世, 10年, 1478年, 中興年, 本願寺第3世, 本願寺第12世, 1321年, 創建年, 上ル常葉町754, 烏丸通, 京都府, この項目では, 京都市下京区にある寺について説明しています, その他の用法については, をご覧ください, 曖昧さ回避, フリー百科事典, ウィキペディア, ウィキデータ項目, 他のプロジェクト, 印刷用バージョン, pdf, 形式でダウンロード, ブックの新規作成, 書き出し, レガシーパーサーに切り替え, 短縮urlを取得する, このページを引用, ページ情報, この版への固定リンク, ファイルをアップロード, 関連ページの更新状況, リンク元, 日本語, ノート, ページ, リンクを編集, türkçe, polski, မြန်မာဘာသာ, 한국어, bahasa, indonesia, magyar, français, فارسی, english, deutsch, مصرى, 脚注サブセクションを切り替えます, 行事サブセクションを切り替えます, 文化財サブセクションを切り替えます, 境内サブセクションを切り替えます, 歴史サブセクションを切り替えます, ページ先頭, 個人用ツール, ウィキペディアに関するお問い合わせ, バグの報告, お知らせ, 井戸端, 利用案内, 特別ページ, アップロード, 練習用ページ, おまかせ表示, 最近の更新, 新しいページ, 最近の出来事, コミュニティ, ポータル, メインページ, コンテンツにスキップ,


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本願寺 慶長 7年 1602年 開山 大谷本願寺 覚如 本願寺第3世 東本願寺 教如 本願寺第12世 中興年 文明 10年 1478年 中興 蓮如 本願寺第8世 正式名 真宗本廟 1987年 昭和 62年 までは本願寺 別称 お東さん 文化財 教行信証 坂東本 全6冊 国宝 御影堂 阿弥陀堂 絹本著色 親鸞 聖人像 安城御影 ほか 重要文化財 渉成園 国の 名勝 公式サイト 東本願寺 東本願寺 京都駅 大谷祖廟 京都市中心部における位置 テンプレートを表示 東本願寺 ひがしほんがんじ は 京都市 下京区 にある 真宗大谷派 の 本山 の 寺院 山号 はなし 本尊 は 阿弥陀如来 正式名称は 真宗本廟 しんしゅうほんびょう である 注釈 1 注釈 2 東本願寺の名は 通称 であり 西本願寺 龍谷山本願寺 に対して東に位置することに由来している 愛称は お東さん 2020年 令和 2年 7月現在の 門首 は 大谷暢裕 修如 歴史 編集 本願寺の分立 編集 親鸞 の遷化から本願寺東西分立までの歴史の詳細については 本願寺の歴史 を参照 天正 19年 1591年 に 浄土真宗 本願寺派 法主 で 本願寺 第11世の 顕如 は 豊臣秀吉 により新たな寺地として 京都 堀川 六条の地の寄進を受けると 大坂 天満 にあった本願寺をそこに移転させ 1 同年8月には天正14年 1586年 8月に再建した御影堂を天満から移築してここを新たな本願寺 現 西本願寺 とした 1 天正20年 1592年 7月には本堂である阿弥陀堂が新築されるが 依然として 石山合戦 以来の教団内の内部分裂は継続していた 同年である 文禄 元年 1592年 11月24日 顕如の入滅にともなって長男の 教如 が本願寺を継承して本願寺第12世となった 1 この時 教如は石山合戦で自身とともに 織田信長 と戦い続けて 大坂本願寺 に籠城した強硬派を側近に置いて重用し 顕如とともに 紀伊国 の 鷺森御坊 に退去した穏健派は重用しなかったことから 教団内の対立は激化した そこで 穏健派と顕如の室の 如春尼 教如の実母 は 顕如が書いた 留守職譲状 を秀吉に示して 遺言に従い三男の 准如 に継職させるよう直訴した この訴えを受けた秀吉は文禄2年 1593年 閏9月12日に教如を大坂に呼ぶと 今から10年後に弟の准如に本願寺法主を譲るように との命を下した 教如はこの命に従おうとしたが 側近の強硬派坊官たちが秀吉に異義を申し立てたために秀吉は激怒し 今すぐ退隠せよ との命が下された それにより 同年閏9月16日に准如が新たに本願寺法主を継承し 教如の第12世は取り消されて准如が第12世となることが決定する 1 以後 教如は本願寺北東の一角に退隠させられ 裏方 と称せられた 1 しかし 引退後も教如は精力的に布教活動にいそしみ 本願寺の中に作った自らの隠居所に阿弥陀堂と御影堂を設けるなどし 本願寺 を名乗って文書の発給や新しい末寺の創建などを行っていた このことが後の本願寺分立の萌芽となった また秀吉の死後 教如は 徳川家康 に接近するようになった 1 慶長7年 1602年 後陽成天皇 の 勅許 を背景に家康は親しくしていた教如に京都 烏丸 七条 2 の地を寄進した 1 これにより 本願寺は正式に准如 顕如の三男 の西 本願寺派 と 新たに分派してできた教如の東 大谷派 に分立してしまった 1 この時 江戸幕府 内では本願寺法主の准如が 関ヶ原の戦い において西軍に味方したことから 准如に代わり教如を本願寺法主にしようとの考えもあったが 浄土真宗の力を削ぐのに有効との考えから結局分立させることになった ということになっている しかし 教如は以前から石山合戦以来の自らの派 後の大谷派 を有しており 宗派内部はすでに完全に分裂状態にあった 分立当初は准如の堀川六条の 本願寺 は 本願寺 六条門跡 本門 にしもんぜき などと呼ばれ 教如の烏丸七条の 本願寺 は 信淨院 教如の院号 本願寺 本願寺隠居 七条本願寺 信門 信淨院の門跡 の意 ひがしもんぜき などと呼ばれた 便宜上 堀川六条の本願寺の東側にある烏丸七条の本願寺が 東本願寺 と通称されたため 相対的に堀川六条の本願寺も 西本願寺 と通称されるようになった 江戸時代以後 編集 教如は烏丸七条の地を新たな本願寺 現 東本願寺 としそこに入ると 慶長8年 1603年 に 上野国 妙安寺 現 群馬県 前橋市 から宗祖親鸞聖人の自作と伝えられる木像の御真影を迎え入れ 同年 11月10日 に阿弥陀堂を 翌慶長9年 1604年 9月16日 に御影堂を建立した 3 江戸時代 の当寺は 創立時における家康との関係もあって江戸幕府との関係は一貫して良好であった 3 そのためか 寛永 18年 1641年 には第3代 将軍 徳川家光 から1万坪の土地が寄進されている ただ 寄進された土地は当寺から少し東に行ったところであり 以後 当寺の飛地境内となった その後 承応 2年 1653年 に 石川丈山 によって庭園が造られ 渉成園 と名付けられた 承応 元年 1652年 に御影堂の規模を拡大するため再建に着手する 西本願寺 の御影堂が桁行31間半であったので 当寺はそれを超える桁行32間での再建が行われたという 4 明暦 4年 1658年 3月28日 に落成する 寛文7年 1667年 に阿弥陀堂の規模を拡大するために再建に着手 寛文10年 1670年 3月15日 に落成された また 同年には親鸞聖人を祀る 大谷祖廟 が造立されている 後の 延享 2年 1745年 には第8代将軍 徳川吉宗 が 大谷祖廟に隣接している 長楽寺 の境内地1万坪を没収し そのまま大谷祖廟に寄進している 天明 8年 1788年 1月の 天明の大火 によって阿弥陀堂 御影堂の両堂 以下 両堂 が焼失してしまう 3 その後 寛政 2年 1790年 に 八尾御坊大信寺 の本堂を移築して仮本堂とするが 幕府より 飛騨国 白川の木材4 600本の寄進を受けたことにより再建工事が始められ 寛政10年 1798年 3月に両堂が落成した 5 文政 6年 1823年 11月15日に境内からの失火によって鼓楼と宝庫を残して両堂以下が焼失する 3 その後 幕府より飛騨国の巨木2 000本の寄進を受けて 天保 6年 1835年 に両堂は再建された 6 安政 5年 1858年 京都市中を襲った大火に巻き込まれて両堂以下が焼失する 7 3 また 渉成園にあった枳殻邸も焼失している 今回も幕府より巨木2 000本の寄進を受けている しかし 3年後の 文久 元年 1861年 に親鸞聖人六百回御遠忌が控えていたこともあってか当寺は頭を悩ましていたところ 幕府は便宜を図ってくれた 通常は京都での大工仕事は京都役大工仲間による独占となっており 大工 杣 木挽三職の田舎職人の入京は許されていなかったが 今回は特別とされ 主に北陸地方から当寺の再建のためにたくさんの大工がやってきた そのために 万延 元年 1860年 には早くも両堂は仮堂としてではあるが再建された 8 しかし 仮堂とはいえその平面規模は焼失以前の両堂と同規模であった 元治 元年 1864年 7月20日 禁門の変 を発端とする兵火が元となり 京都市街は どんどん焼け と呼ばれる大火災が発生して両堂以下諸堂が全焼する 3 当寺は江戸時代には4度の火災に遭っており その火災の多さから 火出し本願寺 と揶揄された しかし 当寺が火元となったのは文政6年 1823年 11月15日の火災のみである 慶応 元年 1865年 11月に 孝明天皇 より白銀30枚を賜っている また 幕府より5万両の寄進を受けている 9 1880年 明治 13年 10月1日 2日に阿弥陀堂 御影堂の両堂の釿 ちょうな 始式が行われ 10 その後も多くの門徒の寄進によって 1895年 明治28年 にようやく両堂は落成した 3 建築 障壁画等の製作には当時の第一級の職人が参加している 1897年 明治30年 当寺が独力で敷設した防火用水道である本願寺水道が完成する それは 琵琶湖疏水 の水を 蹴上 水源池から全長4 6キロメートルの導水管を通じて当寺まで引き込み 約44メートルもの高低差を利用する自然水圧によって両堂の屋根まで水を供給するというシステムであった 11 昭和以降 編集 1977年 昭和 52年 11月2日 東本願寺爆破事件 が起きる 1981年 昭和56年 6月11日 新 真宗大谷派宗憲 新宗憲 発布 宗憲改正にともない 法主 を廃して 門首 を新たに設け 本願寺住職および管長の役職を廃止した 詳細は お東騒動 を参照 1987年 昭和62年 12月 門首が第24代 闡如 の時 当寺つまり 単位 宗教法人 被包括宗教法人 本願寺 通称 東本願寺 注釈 3 は 宗教法人法 に基づいて解散の登記が行われ 注釈 4 単位宗教法人 本願寺 は 包括宗教法人 真宗大谷派 に吸収合併された 注釈 5 このことを 宗本一体 という 合併により当寺は単位宗教法人としての寺院ではなくなり 宗教法人法による宗教法人の分類については 宗教法人 単位宗教法人と包括宗教法人 を参照 法人格を有さない寺院となり 注釈 6 真宗大谷派が直接管理する寺院とされ その本山としての 礼拝施設 となる そのため 正式名称が 真宗本廟 に変更される よって現在 真宗本廟は真宗大谷派が管理する礼拝施設等 伽藍 の総称であり 宗教法人法による 寺院 ではない しかし 大谷派の最高規範である 真宗大谷派宗憲 以降 宗憲 には 真宗本廟は 宗祖聖人の真影を安置する御影堂及び阿弥陀堂を中心とする聖域であって 本願寺とも称し 本派 注釈 7 の崇敬の中心 教法宣布の根本道場である と規定されている 12 また これ以降厳密には本願寺と呼ばれる寺院は 下京においては 浄土真宗本願寺派 本山の本願寺 通称 西本願寺 のみとなっているのだが 現在でも真宗本廟の通称として 東本願寺 の名称が引き続いて公式に使用されている 2003年 平成 15年 11月に宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の特別記念事業の一環として行われる御影堂修復のため 御影堂に安置している御真影 宗祖親鸞の坐像 を阿弥陀堂へ移す御真影動座式を執り行う 御真影は阿弥陀堂の本間右側に新たに設けた仮の御厨子に安置された 2004年 平成16年 3月4日 真宗本廟御影堂御修復起工式が行われた 修復は非解体修理を基本とし素屋根工事 瓦葺き替え工事 注釈 8 御厨子 須弥壇の修復を含む内陣 外陣等の美装工事 大虹梁鉄骨補強補強を含む構造補強工事 耐震補強工事 土居葺工事 木工事 金属工事 外部鋩金物工事等の大規模修復である 2009年 平成21年 8月3日に御影堂において真宗本廟御影堂修復竣工式が行われる 同年9月30日には阿弥陀堂に安置されていた御真影を御影堂の御厨子に戻す 宗祖親鸞聖人御真影還座式が行われた 同年11月20日 御影堂御修復完了奉告法要が済まされた 境内 編集 阿弥陀堂 重要文化財 本堂 1880年 明治 13年 に起工され 1895年 明治28年 に再建された 11 禅宗様 を取り入れた仏堂で 本尊 阿弥陀如来 立像を安置する 13 屋根は瓦葺きの単層 入母屋造 建築規模は 間口52メートル 奥行き47メートル 高さ29メートルである 11 床面積比で御影堂の半分以下しかないが 注釈 9 全国屈指の規模の仏堂である 堂内は 内陣 外陣 参拝席に分かれている 注釈 10 内陣の本間中央に 須弥壇 を設け その壇上の宮殿内に本尊 阿弥陀如来 木像 立像 が安置される また 本間右側の壇上には 聖徳太子 御影 の絵像が 本間左側の壇上には 源空 上人御影 の絵像が奉掛される 内陣の 本間 から右側の余間を 北余間 と呼び その床上に内側から 龍樹 大士御影 天親 菩薩御影 曇鸞 和尚御影 の絵像が 左側の 南余間 の床上に 道綽 禅師御影 善導 大師御影 源信 僧都御影 の絵像が奉掛される 14 11 なお 北余間には元々 亀山天皇 の天牌が奉安されていた 内陣の襖絵は 羽田月洲 と 岸竹堂 によって描かれている 御影堂修復工事中は 阿弥陀如来像の向って右側に 御影堂より遷座した宗祖 親鸞 聖人の像である 御真影 を仮の 御厨子 に安置し 左側には 蓮如 の絵像 聖徳太子の絵像 七高僧 の絵像 法然の絵像と六高僧の絵像 が奉掛された また 阿弥陀堂で御真影を安置するために製作された仮の 御厨子 は 府中刑務所 の講堂の本尊の厨子として利用されている 15 2009年 平成 21年 7月1日 御影堂を覆っていた修復用の素屋根をスライドして阿弥陀堂を覆う 2011年 平成23年 の 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌 法要後 阿弥陀堂の修復工事が行われ 2015年 平成27年 12月に完了した 工事では耐震補強もなされた 渡廊下 重要文化財 阿弥陀堂と御影堂を繋いでいる 造り合い廊下 とも呼ばれ ここには明治時代の当寺の再建に関連した 麻と髪の毛を撚り合わせて編まれた 毛 綱や 巨大な木材を雪の中で運搬するために使用されたと伝わる 大橇 11 鼻橇 他にも尾神嶽 尾神岳 雪崩 被災の ジオラマ が展示されている 展示物のうち 大橇 鼻橇 ジオラマについては 雪崩 雪崩災害の歴史 を参照 御影堂 ごえいどう 重要文化財 1880年 明治13年 に起工され 1895年 明治28年 に再建された 境内のほぼ中心に位置する 和様 で建てられた宗祖親鸞の坐像である 御真影 を安置する建物 11 屋根は瓦葺きの重層入母屋造 16 外観が二重屋根であるため二層建築に見えるが 下部は 裳階 であり 単層建築 である 17 建築規模は 間口76メートル 奥行き58メートル 高さ38メートルで 建築面積は 東大寺 大仏殿 を上回る世界最大級の木造建築物であり 18 内陣 外陣に敷かれた畳は合わせると927畳になる 11 堂内は阿弥陀堂と同じく 内陣 外陣 参拝席に分かれている 内陣は横に7つの室に分かれていて 中央の間を 内陣本間 と呼ぶ 19 内陣本間 側から 左側の余間を 十字の間 九字の間 飛檐の間 と呼び 同じく右側の余間を 六軸の間 新六軸の間 御簾の間 と呼ぶ 20 内陣本間 の中央に須弥壇上を設け その上に 御厨子 を置き 御真影 を安置する 内陣本間 の左右壇上には歴代門首の絵像が奉掛される 平時は 十字の間 の床 とこ 上の中央に 帰命尽十方無碍光如来 の 十字名号 を奉掛し その両脇に宗祖親鸞と現門首を除く 大谷派御歴代 の絵像を二幅に分けて奉掛する 九字の間 の床上には 南無不可思議光如来 の 九字名号 が奉掛される 11 報恩講 などの法要時は 奉掛される絵像やその配置などが変更になる 内陣の障壁画と襖絵は 幸野楳嶺 と 望月玉泉 によって描かれている 御影堂は 1889年 明治22年 4月より 大師堂 と呼ばれていた 21 その由来は 1876年 明治9年 に 明治天皇 から親鸞に対して 見真大師 の 大師諡号 が贈られたためである だが 1981年 昭和 56年 に 宗憲 が改正された際 見真大師 号が削除され 同時に大師堂の呼称が取りやめられて御影堂の呼称に復された 2004年 平成16年 3月から 2008年 平成21年 12月にかけて大規模修復が行われた 総工費は約98億円 注釈 11 である 御影堂の瓦の枚数は175 967枚 22 で その内の3割は修復時の検査で合格した瓦を再利用して葺いている 再利用した瓦 明治瓦 は風雨に晒されにくい裳階の奥側 受平瓦 よりも奥に用いられている 注釈 12 23 式務所 研修道場 和敬堂 同朋会館 真宗同朋会運動の一環である 真宗本廟奉仕 の参加者のための研修宿泊施設 1958年 昭和33年 11月に着工 翌年11月に完成 仏祖崇敬の念を篤くする 無上仏道を聞き開く 同信同行の交りを深める の3つの願いに立って 真に私自身の人間性を回復することを目的とする 高廊下 参拝接待所 東本願寺 真宗本廟 の総合窓口である 1934年 昭和9年 に 志納所 に替えて建てられた 真宗本廟収骨 須彌壇収骨 本山読経 注釈 13 帰敬式 の申込 受付の他 本尊 蔵版の授与 懇志の受付などの窓口業務を行なう 1998年 平成10年 には 蓮如上人五百回御遠忌 の記念事業として 参拝接待所北側地下に 真宗本廟視聴覚ホール を増設した また参拝接待所と視聴覚ホールの間に 展示ギャラリー を併設し 親鸞聖人の生涯に関する常設展示のほか 季節ごとにさまざまな展示を行っている 11 大寝殿 重要文化財 明治 元年 1868年 再建 公式行事や儀式などに使用される 座敷の奥は全面上段となっており 床の間の壁や襖 帳台構え などには 竹内栖鳳 筆の 風竹野雀 歓喜 古柳眠鷺 全て1934年 昭和9年 が描かれている 24 大玄関 重要文化財 慶応 3年 1867年 再建 東本願寺境内最古の現存建造物である 宮御殿 重要文化財 もとは慶応3年 1867年 に建てられた 大宮御所 の一部である 1880年 明治13年 に下賜されたが部材のまま置いていたところ 1901年 明治34年 になって現在地に建てられた 黒書院 重要文化財 1911年 明治44年 再建 障壁画は加藤英舟らによるもの 桜下亭 重要文化財 1909年 明治42年 に 前年に引退した現如上人 大谷光瑩 の隠居所として建てられた 東京 の霞ヶ丘別邸の一部を 1939年 昭和14年 に移築したもの 内部の襖は岐阜別院にあった 円山応挙 の襖絵を移設したもの 白書院 重要文化財 1911年 明治44年 に親鸞聖人六百五十回御遠忌に際して再建 来賓の接待などに使用される 帳台構えや違い棚を設けた書院造で 建築技師の 亀岡末吉 らによる独創的な彫刻で飾られた欄間や 幸野楳嶺 の子息の幸野西湖や 森本東閣 伊藤鷺城 ら京都画壇の画家による障壁画で装飾されている 24 能舞台 重要文化財 1880年 明治13年 に建てられたもので 1937年 昭和12年 に現在地に移築した 鏡板に描かれている松は幸野楳嶺によるもの 庫裏 内事部洋館 重要文化財 1923年 大正12年 武田五一 の設計 真宗大谷派 門首 の居宅 現役の居宅であるため非公開 内事部日本館 重要文化財 1923年 大正12年 内田仙司 が棟梁を務めた 25 非公開 菊の門 勅使門 重要文化財 門扉に 菊の紋 があることから菊の門と呼ばれているが勅使門とも呼ばれる 慶長 9年 1604年 に 徳川家康 が寄進したが幾たびか火災で焼失した 1911年 明治44年 の親鸞聖人六百五十回忌迄の再建に間に合うよう 名古屋 の信者2名が勅使門 菊の門 の寄進を申し出た 勅使門の設計は 亀岡末吉 施工は名古屋南久屋町の鈴木幸右衛門 金物製作は京都の中村猪之助 塗工は京都の三上治三郎という当代の第一人者が担当した 工事は 1909年 明治42年 から開始され予定通り1911年 明治44年 2月に完成した 26 菊の紋は 明治維新 後に 皇室 の御紋章と定められたので 宮内省 にお伺いをしたところ 岩倉具定 宮内大臣 より 江戸時代 から使用されていたことを認められ 使用が特別に許可されたいきさつがある 27 玄関門 重要文化財 1911年 明治44年 再建 東本願寺出版建物 旧議事堂 重要文化財 宗務所 通用門 内事門 長屋門 重要文化財 鐘楼 重要文化財 1894年 明治27年 再建 梵鐘は 2010年 平成22年 造 2023年 令和 5年 から 2024年 令和6年 にかけて大規模な修理が行われた 11 阿弥陀堂門 重要文化財 1911年 明治44年 再建 切妻造 檜皮葺き の 四脚門 正背面に 唐破風 を設ける 11 境内で 京都駅 に一番近く 段差の無い バリアフリー の門である 江戸時代中頃に 唐門 の名称で建てられる 2021年 令和3年 から 2022年 令和4年 にかけて大規模な修理が行われた 11 築地塀 重要文化財 総合案内所 案内所としての機能の他に 休憩所や喫煙所 東本願寺お買い物広場 などが入っている 2009年 平成21年 御影堂修復事業の一環として改修される 境内の諸施設を統合管理する 防災センター が併設されている 手水屋形 重要文化財 1895年 明治28年 再建 2024年 令和6年 から 2025年 令和7年 にかけて大規模な修理が行われた 11 御影堂門 重要文化財 正門 1911年 明治44年 再建 高さ約27メートルの入母屋造 本瓦葺き 三門 形式の 二重門 真宗本廟 の扁額を掲げる 11 京都三大門 他に 東福寺 知恩院 の1つであり 28 木造建築の山門としては世界最大級であり また木造建築の二重門としては日本一の高さといわれる 11 上層 非公開 注釈 14 には 釈迦如来 坐像を中央に 脇侍として向って右側に 弥勒菩薩 立像 左側に 阿難尊者 立像の三尊が安置され 浄土真宗 の正依の経典 浄土三部経 の1つである 仏説無量寿経 の会座をあらわす 11 また その手前には 仏舎利 が安置される 天井画は竹内栖鳳によって飛天舞楽図が描かれる予定であったが 結局描かれることはなかった しかし 原寸大の下絵が残されている 2013年 平成25年 1月 御影堂門の修復が開始され 2015年 平成27年 12月に完了した しんらん交流館 2015年 平成27年 に開設された教化センター 花屋町通 を挟んで境内の北にある しんらん交流館定例法話 や 東本願寺日曜講演 が開催される 29 所在地は下京区諏訪町通六条下る上柳町199 30 位置情報 京都教務所 飛地境内 編集 渉成園 国指定 名勝 別名は枳殻邸 境内の東にある飛地境内である 池泉回遊式庭園 1936年 昭和11年 国の名勝に指定される 位置情報 大谷祖廟 真宗大谷派の親鸞の墓所 修復工事前の御影堂 2003年 御影堂門 阿弥陀堂 阿弥陀堂門 菊の門 鐘楼 参拝接待所 手水屋形 文化財 編集 国宝 編集 教行信証 坂東本 全6冊 紙本墨書 正式名称は 顕浄土真実教行証文類 鎌倉時代 筆 真宗大谷派所蔵本は もとは 東京 の坂東報恩寺が所蔵していたため 坂東本 と呼ばれ 現存する唯一の 教行信証 親鸞真蹟本である 1952年 昭和 27年 に 国宝 に指定 2004年 平成 16年 3月 劣化の激しい同本を修復 重要文化財 編集 真宗本廟東本願寺 20棟 建造物 31 32 33 御影堂 附 厨子1基 造合廊下1棟 二筋廊下1棟 阿弥陀堂 附 宮殿1基 御影堂門 阿弥陀堂門 鐘楼 手水屋形 宝蔵 大玄関及び大寝殿 白書院 黒書院 宮御殿 桜下亭 能舞台 議事堂 現東本願寺出版建物 表小書院 菊門 玄関門 寺務所門 内事門 十三窓土蔵 附指定 百間廊下 附指定 築地塀 6棟 真宗本廟東本願寺内事 3棟 建造物 2023年 令和5年 9月25日指定 34 35 洋館 日本館 鶴の間 絹本著色 親鸞 聖人像 安城御影 あんじょうのごえい 鎌倉時代作 83歳の頃の影像とされる 西本願寺 蔵の原本は 国宝 紙本著色 本願寺聖人伝絵 康永本 4巻 康永 2年 1343年 作 詞書 ことばがき は 覚如 筆 絵は 上2巻は康楽寺円寂 下2巻は康楽寺宗舜による筆 紙本著色 本願寺聖人親鸞伝絵 弘願本 4巻 貞和 2年 1346年 作 各巻末に 釋弘願 の 法名 が署名されているため 弘願本と通称される 詞書 ことばがき は 善如 筆 紙本 一念多念文意 親鸞筆 鎌倉時代作 国指定名勝 編集 渉成園 国登録有形文化財 編集 阿弥陀堂門南側築地塀 御影堂門南側築地塀 御影堂門北側築地塀 菊の門北側築地塀 玄関門北側築地塀 別院 編集 真宗大谷派 五村別院 真宗大谷派 長浜別院大通寺 真宗大谷派 名古屋別院 真宗大谷派 難波別院 行事 編集 平時行事 編集 特別な儀式 法要 行事のない日の予定 儀式 法要などが営まれる日は 日程および時間を変更する場合がある 7 00 晨朝勤行 阿弥陀堂 御影堂 7 30 晨朝法話 御影堂 36 12月27日 31日はなし 10 10 真宗本廟法話 真宗本廟視聴覚ホール 36 12日 27日はなし 11 00 真宗本廟収骨 37 読経 帰敬式 38 12日 27日は取扱いなし 13 10 真宗本廟法話 真宗本廟視聴覚ホール 36 28日はなし 11月21日 28日は御影堂にて開催 14 00 真宗本廟収骨 37 読経 帰敬式 38 28日は取扱いなし 14 00 しんらん交流館定例法話 しんらん交流館 すみれの間 36 12日 27日は10 00に 13日 28日は14 30に時間を変更して開催 16 00 夕事勤行 毎週日曜9 30 東本願寺日曜講演 しんらん交流館 大谷ホール 年中行事 編集 日程は 変更になる場合がある 修正会 1月1日 7日 春季 彼岸会 法要 春分の日 前後各3日を合わせた7日間 期間中に永代経総経が厳修される 春の法要 4月1日 3日 春の法要中の主な行事 1日 師徳奉讃法要 親鸞聖人御誕生会 2日 全戦没者追弔法会 3日 相続講 員物故者追弔会 兼 帰敬式受式物故者追弔会 立教開宗記念法要 4月15日 蓮如 上人御影吉崎別院御下向式 4月17日 蓮如上人御影吉崎別院御帰山式 5月9日 盂蘭盆会 法要 7月14日 15日 8月13日 16日 秋季 彼岸会 法要 秋分の日 前後各3日を合わせた7日間 期間中に永代経総経が厳修される 御正忌報恩講 11月21日 28日 宗祖親鸞の祥月命日である11月28日までの1週間に勤められる法要で 年中行事の中で最重要行事とする 御正忌報恩講中の主な行事 21日 初逮夜 しょたいや 22日 初晨朝 しょじんじょう 初日中 24日 中逮夜 25日 中晨朝 中日中 ちゅうにっちゅう 御伝鈔 拝読 27日 結願逮夜 けちがんたいや 御俗姓 拝読 28日 御満座 結願晨朝 結願日中 坂東曲 ばんどうぶし お煤払い 12月20日 歳末昏時勤行 12月31日 不祥事 編集 1977年 昭和52年 1月13日 手形 のトラブルに巻き込まれ 紙本著色 本願寺聖人伝絵 紙本著色 本願寺聖人親鸞伝絵 が 差押え を受ける 39 2017年 平成29年 4月26日 東本願寺の職員2人に過去数年間 サービス残業 多い時で月130時間以上 をさせていたとし 未払いの残業代約660万円を支払ったことを明らかになった 2人は寺の研修施設 同朋会館 に宿泊する門徒の世話を担当する 補導 と呼ばれる職員で 寺によると 1973年 昭和48年 に 補導 には残業代を一切支払わないとする違法な取り決めをしていた 40 41 また 全国の教務所でも残業に必要な 労働基準法 第36条に基づく労使協定 三六協定 を結ばずに 職員に違法な残業を行わせていたこと 本山宗務所の残業についても労使協定を結んだ 真宗大谷派職員組合 が 協定が法的効力を持つために必要な 労働者の過半数で組織する労組 に該当しないため本山の残業も労基法に抵触している可能性があること 昨年12月に本山を管轄する京都下労働基準監督署から 臨検 と呼ばれる任意の立ち入り調査を受け 職員の労働時間を適正に管理していないとして行政指導を受けたことが明らかになった 42 所在地 編集 京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754 アクセス 編集 jr 東海道本線 琵琶湖線 jr京都線 山陰本線 嵯峨野線 奈良線 東海道新幹線 京都駅 より徒歩約10分 経路案内 近鉄 京都線 京都駅より徒歩約10分 京都市営地下鉄 烏丸線 京都駅より徒歩約10分 京都市営地下鉄烏丸線 五条駅 より徒歩約5分 京阪 本線 七条駅 より徒歩約17分 京都市営バス 烏丸七条バス停より徒歩約1分 開門 閉門時間 編集 3月 10月 5時50分開門 17時30分閉門 11月 2月 6時20分開門 16時30分閉門 脚注 編集 脚注の使い方 注釈 編集 正式名称 1987年 昭和 62年 までは 本願寺 が正式名称であった 大谷派の公式ホームページ 出版物などでは 東本願寺 の通称を用いており 正式名称 真宗本廟 と併用している 単位宗教法人 本願寺 東本願寺 の正式な法人名 宗教法人法に基づく 解散の登記 宗教法人法 第57条合併の登記 第58条解散の登記 西本願寺の場合は 浄土真宗本願寺派 が包括宗教法人 本願寺 西本願寺 が被包括宗教法人である 出典 宗門機構組織略図表 寺院 とは 仏寺とそれに付属する別舎をあわせた称 大辞泉 宗教的儀式を執り行うための建物 大辞林 である よって寺院の定義に 法人格の有無は無関係である 本派 真宗大谷派のこと 瓦葺き替え工事 瓦の3割は 再利用している 床面積比 柱に囲まれた部分の床面積の比較である 御影堂の床面積は2 892 6平方メートル 桁行63 6メートル 梁行45 5メートル であるのに対して 阿弥陀堂は1 346 5平方メートル 桁行39 8メートル 梁行33 8メートル である 向拝 後堂などは面積に含まない 外陣 正式ではないが 参拝席を 外陣 と呼ぶ場合もあり その場合は本来の外陣を 柵内 と呼ぶ 総工費は 瓦葺土再資源化費用が含まれる 修復後 2010年3月撮影 の画像で影のように見えているのが明治瓦である 本山読経とは 本山永代経 本山申経 のこと 非公開 御影堂門上層部は 真宗本廟奉仕 の日程により参加者に公開するため完全非公開ではない 以前は報恩講などの行事の際に公開されていたが 上層への階段の傾斜が急で危険であることなどから 平時は非公開としている 出典 編集 1 2 3 4 5 6 7 8 本願寺の歴史 お西さん 西本願寺 2026年7月15日閲覧 年表などの文献には 現住所の 烏丸七条 ではなく 烏丸六条 と記述される 真宗の教えと宗門の歩み 2003年 第3版 p158 1 2 3 4 5 6 7 東本願寺の歴史 東本願寺 2026年7月15日閲覧 藤島 1984 p 101 藤島 1984 p 106 107 藤島 1984 p 107 池田正一郎 日本災変通志 新人物往来社 2004年12月15日 693頁 isbn 4 404 03190 4 藤島 1984 p 107 108 藤島 1984 p 111 112 藤島 1984 p 112 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 境内のみどころ 東本願寺 2026年7月15日閲覧 真宗大谷派宗憲 第三章 真宗本廟 第十三条 阿弥陀堂の御修復に向けて 真宗大谷派 東本願寺 宗務所 p 1 阿弥陀堂の概要 を参照 阿弥陀堂の御修復に向けて 真宗大谷派 東本願寺 宗務所 p 1 阿弥陀堂の概要 阿弥陀堂の荘厳についての阿弥陀堂正面奉掛図を参照 真宗大谷派 御真影の還座に伴い御厨子を府中刑務所へ 南御堂 真宗大谷派難波別院 2010年4月1日 東本願寺 淡交社 2009 p 100 解説 草野顕之 121 解説 伊藤延男 東本願寺 淡交社 2009 p 22 解説 木場明志 東本願寺 淡交社 2009 p 22 解説 木場明志 より引用 東本願寺 淡交社 2009 p 121 解説 伊藤延男 東本願寺 淡交社 2009 p 120 解説 伊藤延男 藤島 1984 p 114 阿弥陀堂の御修復に向けて 真宗大谷派 東本願寺 宗務所 p 7 御影堂の修復について 御影堂の修復の概要を参照 阿弥陀堂の御修復に向けて 真宗大谷派 東本願寺 宗務所 p 13 環境に配慮した御修復 御影堂瓦再資源化の取り組みを参照 1 2 公益社団法人 京都市観光協会 2023年11月 第58回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開ガイドブック 揖斐川町史 通史編 国立国会図書館デジタルコレクション 紅葉舎類聚 名古屋 富田家の歴史 発行 富田重助 1977年9月16日 415 419頁 神野金之助重行 神野金之助翁伝記編纂会 1940年 349 355頁 御影堂門の 釈迦三尊 像 週刊 古寺を巡る 第27号 東本願寺 小学館 2007年8月 p 12 浄土真宗ドットインフォ 交流館施設案内 浄土真宗ドットインフォ 交流館へのアクセス 令和元年9月30日文部科学省告示第71号 国宝 重要文化財 建造物 の指定について 文化庁サイト 2019年5月17日発表 令和5年9月25日文部科学省告示第109号 令和5年9月25日文部科学省告示第108号 文化審議会の答申 国宝 重要文化財 建造物 の指定 文化庁報道発表 2023年6月23日 1 2 3 4 東本願寺 法話 1 2 東本願寺 真宗本廟収骨 1 2 真宗大谷派 東本願寺 帰敬式 おかみそり 東本願寺の重文差し押え 手形不渡り一億円分 朝日新聞 1977年 昭和52年 1月14日朝刊 13版 23面 東本願寺 僧侶にサービス残業 nhk 2017年4月26日 2017年4月26日時点の オリジナル よりアーカイブ 2017年4月26日閲覧 真宗大谷派 残業代未払い 違法な労使覚書を40年超締結 職員に甘えていた 産経新聞 2017年4月26日 2017年4月27日閲覧 http www sankei com west news 170426 wst1704260060 n1 html 参考文献 編集 真宗大谷派宗務所 編 真宗の教えと宗門の歩み 第3版 真宗大谷派宗務所出版部 2007年 isbn 978 4 8341 0273 4 真宗本廟 東本願寺 真宗大谷派宗務所出版部 2000年 isbn 4 8341 0294 7 真宗大谷派宗務所 編 真宗大谷派宗憲 宗教法人法 真宗大谷派宗務所出版部 2006年 isbn 4 8341 0355 2 千葉乗隆 浄土真宗 ナツメ社 図解雑学 2005年 isbn 4 8163 3822 5 坂東 浩 監修 うちのお寺は真宗大谷派 双葉社 2005年 isbn 4 575 29813 1 大谷暢顯 井沢元彦 東本願寺 淡交社 古寺巡礼 京都 40 2009年 isbn 978 4 473 03510 3 週刊 古寺を巡る 第27号 東本願寺 小学館 2007年8月 阿弥陀堂の御修復に向けて 真宗大谷派 東本願寺 宗務所 2009年 藤島達朗 本廟物語 東本願寺出版部 1984年8月 関連項目 編集 ウィキメディア コモンズには 東本願寺 に関連するメディアがあります 真宗大谷派 大谷派御歴代 京都タワー お東さんのろうそく とも呼ばれる事もあるが 本来は灯台をモチーフにしたものである お東騒動 東本願寺の時間 本願寺道路 本願寺街道 有珠新道 日本の寺院一覧 日本の寺の画像一覧 京都ヨドバシ 東本願寺がかつて保有していた土地に立っている 丸物 は東本願寺から借地していたが 京都近鉄百貨店時代の1992年に買収して以降 近鉄百貨店京都店 は近鉄グループ保有地に立っていた 中林仁一郎 墓所は 金戒光明寺 だが 上記の経緯から東本願寺当主と親交があり 名古屋出店 のちの 丸栄 の際も援助を受けた 外部リンク 編集 東本願寺 真宗大谷派 東本願寺 otaniha_pr x 旧twitter 東本願寺ストリートビュー 表 話 編 歴 本願寺 本願寺寺基の移転と分立 東西分立前 本願寺の歴史 大谷廟堂 1272 1295 1321 大谷影堂 1295 1321 大谷本願寺 1321 1465 山科本願寺 1483 1532 石山本願寺 大坂本願寺 1532 1580 鷺森本願寺 1581 15...
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