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足利氏館, 水戸城, 白河小峰城, 若松城, 二本松城, 山形城, 久保田城, 多賀城, 盛岡城, 弘前城, 松前城, 五稜郭, 根室半島チャシ跡群, 北海道, 江戸幕府の征夷大将軍一覧, 1710追贈, 徳川綱重, 贈征夷大将軍, 1867, 1868, 徳川慶喜, 1866, 徳川家茂, 徳川家定, 徳川家慶, 1787, 徳川家斉, 1786, 徳川家治, 1713, 徳川家継, 1712, 徳川家宣, 徳川家綱, 1603, 江戸幕府の征夷大将軍, tokyoアーカイブ, 江戸城造営関係資料, 千代田区観光協会hp, コモンズには, に関連するカテゴリがあります, の原文があります, 江戸城ヲ東京城ト稱セシム, 坂下門外の変, 科学技術館, 日本武道館, 海上自衛隊の, の代替艦として建造された, 海上自衛隊, 旧日本海軍の, の2番艦として開発されたが, 航空母艦に改造された, 千歳型水上機母艦, 航空母艦, 水上機母艦, 艦名は江戸城の別名である, に由来する, 旧日本海軍, 幕府海軍, 千代田形, 江戸城三十六見附, 関東地方の史跡一覧, 日本の首都, 川越氷川神社, 江戸城を災いから守る裏鬼門, 江戸城を災いから守る鬼門, 寛永寺, 午砲台, 日本の城一覧, 四海をしろしめす天下の府城, 学習研究社, 名城シリーズ, 1995年8月, bn15835791, 600870, 歴史群像, 学研編集部, 江戸城御殿の構造と儀礼の研究, 2021, 9784642043434, 鎌倉府と地域社会, 同成社中世史選書, 2014年10月25日, 88621, 681, 同成社, 中世の江戸, 大岡聡, 街道の起点, 街道の日本史, 2003年2月13日, 642, 06220, 藤田覚, 村井益男, 将軍家の生活, 1882, 2008年7月10日, 159882, 講談社学術文庫, 徳川家康創建江戸城天守の復元, 1990年9月, 日本建築学会, 本丸御殿と幕府政治, 1945, 2008年4月1日, 101945, 中公新書, 中央公論新社, 江戸城をよむ, 1997年2月1日, 562, 02849, 原書房, 伴三千雄, 江戸城史, 東京城史, 名著出版, 1974年, bn13232558, b000j9fqag, asin, 江戸の醜聞事件帖, 情死からクーデターまで, 2010年6月, 901265, 学研m文庫, 中江克己, 徳川幕府事典, 2003年7月16日, 490, 10621, 東京堂出版, 竹内誠, 柴裕之, 境界の領主から天下人へ, 中世から近世へ, 2017年7月24日, 582, 47731, 平凡社, この節には, の一覧が含まれていますが, 適切な位置に脚注を追加して, にご協力ください, 2016年12月, による参照が不十分であるため, 情報源が依然不明確です, 炎上の節焼失並従来欠本等の届, 皇城炎上記録焼失に付, 御達願伺書謄写可差出旨, 省府県への達, 太政官正院, 電動自転車でラクラク, シェアサイクルで皇居一周してみた, 半蔵門から桜田門までの散策, これまでの歩み, 市民団体の創立から, これまでに至る主な活動の歩み, 江戸東京歴史文化ルネッサンスビジョン5カ年基本計画, 江戸城御本丸御天守1, 100建地割, 江戸城再建を目指す会, 2010年6月17日, リンク切れ, 好評裡に終了, 江戸城寛永度天守, 復元図, 完成報告会, 2020年10月確認, 江戸城天守復元模型, 2020年9月28日, これが日本史上最大の, 30分の1復元模型, 29日から公開, 無血開城への強い思いが江戸最大の危機を回避した, 出典無効, 1995, 2019年8月21日, 日本経済新聞, 明治天皇の皇城図発見, 焼失4年前に使節作成, 2009年11月24日閲覧, 第36回, 江戸城にお能を見に行く, 千代田之御表, 159, 2010, 2015年11月4日, の2015年12月9日時点におけるアーカイブ, 2015年12月19日閲覧, オリジナル, 中日新聞東京本社, 東京新聞, 天高く, 高さ58, 63メートル, 攻撃装置ない太平の象徴, 2021年11月24日, 2025年8月1日閲覧, 世界遺産と奈良文書, ご存じですか, 江戸城天守台, のこと, 特別史跡江戸城跡における天守や本丸御殿, 城門等歴史的建造物の復元のあり方について, 天皇の退位等に関する皇室典範特例法案特別委員会, 第2号, 平成29年6月7日, 衆議院, 内閣委員会, 第3号, 平成29年3月10日, 第196回国会, 文教科学委員会, 第13号, 平成30年5月31日, 測定時報23, 1956, 235, 236ページ, 気象百年史, 1975, 50ページ, 池田正一郎, 日本災変通志, 新人物往来社, 2004年12月15日, 356頁, 404, 03190, 朝刊2023年2月13日, 文化面, 同日閲覧, 没後200年, 伊能忠敬を歩く, 描かれた江戸城, 地方と接続, 九つの御門, 杉山宏生, 西相模, 東伊豆の安山岩石丁場, 江戸築城と伊豆石, 2015年5月1日, 33頁, 福島金治, の成立と鎌倉生源寺, 地方史研究協議会編, 近郊の信仰と遊山, 交流と引用, 1999年, 639, 01640, 雄山閣, 江ノ島, 鶴岡八幡宮, 193, 191, 2014, 朝日新聞, 2024年11月27日, 江戸城の外濠を浄化へ, 10年がかりの大計画, 環境省, 2024年3月14日閲覧, 特別史跡江戸城跡, 2017年7月1日, オンライン, 東洋経済, 本当にハーレムだったのか, 羽田会の部屋, 江戸のお侍さんの勤務形態, 歴史小話, ニッポニカ, 日本大百科全書, 小学館, 日本一の巨大城郭, 川を制した徳川家の居城, 1974, 江戸城の南端, 江戸城外堀跡保存管理計画書, 2025年11月25日閲覧, そうがまえ, とは何ですか, 日本大百科事典, ブリタニカ国際大百科事典, 小項目事典, より2025年11月15日閲覧, kotobank, word, 異説あり, の人々は, 彼らの誇りであり名城として名高かった, に立てこもり, 気高く明治政府軍と闘い続けたがその猛攻により多くの人的犠牲を出す結果ともなった, 会津城, 三代将軍家光時代に三男長松, 甲府宰相綱重, や春日局, 天樹院, 弟の駿河大納言忠長らの屋敷があった場所でその後1731年, 享保15年, から田安家と清水家の屋敷地となった場所, で肝心なのは濠のほうである, 中心あたりの建物付近ではない, 軍事施設としての城郭にとっては濠こそが重要であり, 濠の内側の敷地のありさまや建物はさほど重要ではない, 江戸城の天守が江戸の火事で2度目に焼けた際は, 徳川家は再建しなかった, さほど重要ではなかったからである, もともと千代田城があったから, この区は, と名付けられた, を挟んで東岸側の, に接し, より一体とみなされ, の名を持つ, 江戸郷, 豊嶋郡, 現在の同心番所は門の中に移転している, 御殿の門なども含んだ数, 主要な門57棟の内, 櫓門は45棟, 更に枡形を構成しているのはおよそ39棟, 櫓の数や規模は時期により異なるので, これは一例である, 後に二ノ丸東照宮として移転, には最上階上々段に東照宮があったと記載されている, ただし金澤案は, 三浦案は, 双方の記述内容に矛盾する, 9重には, 何段にも重なる, という意味もあるので, 5重の可能性が高い, その名残として, 天守曲輪に当たる御休息, 数寄屋, 富士見, 多聞櫓の北側から石室, 西側二重櫓跡, までの本丸の石垣は現在も他より一段高くなっている, 多大な支出ばかりが嵩んでいた幕府財政の, 近年中のさらなる悪化, 破綻が予想された, ためとの説がある, なお宮上案に従えば, 三代の天守は壁面, 瓦の材質, 破風の配置などを除けば, 基本的に同じ規模, 構造をしていた, 改易されるまでは里見氏の屋敷も残っていた, が作成された, 炎上の節焼失並従来欠本の目録, この石船を運ぶ際, 暴風雨によって数百隻の船が沈んだとされる, 徳川家康入部前の江戸が寂れていて寒村のようであったとされてきたが, 実際には荒川や入間川などの関東平野一帯の河川物流と東京湾の湾内物流の結節点としてある程度は栄えていたとされる, なんらかの戦略的, 経済的な価値がなければ, 徳川氏もそこを本拠に選ばなかったはずである, 柴裕之は小田原攻め中に秀吉が江戸城に自らの御座所を設ける構想を示したとする文書, 富岡文書, の存在を指摘し, 秀吉が関東, 奥羽統治の拠点として江戸城を高く評価していたとする指摘をしている, 鎌倉に関する研究において, 福島金治は, において, が鎌倉に入った当時の鎌倉の姿の描写, 4年10月12日条, が徳川家康が江戸に入った時当時の江戸の姿に引用されている可能性を指摘している, 源頼朝, 吾妻鏡, このため, の8月1日, 江戸時代を通じて祝われることになる, 家康の家臣である, の日記, 家忠日記, によれば, 実際の入城日は7月18日であったという, 松平家忠, 今の梅林坂に当たる, 社は江戸時代に城外の平河門外, 次いで麹町に移されて, 道真崇拝や梅との関わりについては, 飛梅伝説, 天満宮, 平河天満宮, 脚注の使い方, なお江戸城の内堀の周囲は1周およそ5キロメートルの, コースになっており, コース上のどこからでも江戸城を望見できる, で周回する人も, いくらでも望見したり, 各門に近づいて見ることができる, 東京23区の住人で自転車所有者ならば, 自転車で現地へ向かい江戸城の周回をして, 帰宅の途につけばよい, 遠方から東京へ行き自転車で江戸城周回をしたい人は, アプリで検索すると周辺にシェア自転車, レンタル自転車の一種, が借りられる場所, ポート, 30分単位で借りられ電動アシスト自転車も多く, 最寄りのポートに, 乗り捨て, も可能で便利である, 2025年現在, 江戸城周辺にはドコモバイクシェアやhello, cyclingのポートがある, 自転車, ランニング, 半蔵門から桜田門までの約25分間の散策コース, 半蔵門から外桜田門にかけて散策すると, 左手に歌川広重の, の舞台にもなった, の見事な景観を楽しむことができる, おまけにこのコースは, なので, かなり楽に歩くことができる, 巨大な堀, 桜田門の枡形の3つを鑑賞でき, 江戸城の防御力が強固なことを実感でき, 軍事施設としての江戸城を実感できるコースでもある, 下り坂, 名所江戸百景, 半蔵門から外桜田門にかけての散策コース, 評判の良いコースがある, 将軍の居所, 田安家, 清水家, の屋敷地そして火除け地や兵営地として使われた場所, として整備され, 日本武道館や東京国立近代美術館, 科学技術館などの文化施設が建ち並ぶ, 2番出口, から130メートル, 1b出口, 竹橋方面出口, から公園入口まで数百メートル, 九段下駅, 北の丸, 本丸に近い内桜田門, に対して外桜田門と呼ぶ, 当初は小田原街道の始点なので小田原口と呼ばれ, 柵戸仕立の門だった, 門に改築し, このあたりは桜田郷と呼ばれていたので改築後に桜田門と呼ばれるようになった, 外側の高麗門, こうらいもん, と内側の渡櫓門, わたりやぐらもん, の二重構造からなり, 外桝形, そとますがた, という防御性の高い城門で, 西の丸防備のため異例の大きさ, 320坪, で造られた, 付近で, が起きたことでも有名, 誰でも2つの門をくぐって通行することができ, 巨大な桝形による防御や, 軍事施設としての江戸城を実感することができる, 3番出口, 徒歩1分, 桜田門駅, 東京メトロ, の一つで, 城の西側に位置し, の起点, 麹町口, 西方から攻めてくると想定された敵どもから城を護る門で, 護りを特に固めるため付近に, の屋敷があったので, と呼ばれた, 旧門は第二次世界大戦で焼失し, 現在の門は和田倉門の一部が移築されたもの, 皇居への出入りに天皇, 皇族が使用する門となっている, 出口1, から約150メートル, 徒歩約2分, 6番出口, だとエスカレーターとエレベーターが使え便利, 1番出口, から650メートル, 麹町駅, 半蔵門駅, 服部半蔵, 甲州街道, 将軍や大名が登城する際の主要な出入口だった, 現在は皇居正面入口になっており, 外観は見れるが進入はできない, 大手町駅の, から徒歩約5分, 丸の内方面出口, から徒歩約10分, 東京駅, 西の丸大手門, 本丸北側の防御のための城門であり, 有事には橋を跳ね上げて敵侵入を防ぐ, が特徴だった, ではないが上下に動かすための金具が残る, 1a出口, から徒歩400メートル, 約6分, 東西線, 本丸の表口, 江戸城の正門, 東京メトロ各線, または, から徒歩約200メートル, 約5分, 都営三田線, 大手町駅, 江戸城三十六見附のひとつで, 江戸城の南の端, 明治政府は虎ノ門見附の外郭門を破却してしまったが, 平成16年, 文部科学省の新庁舎建設工事の際に発掘されて, 展示施設として保存された石垣が, として地下展示室で展示されている, 11番出口, 江戸城の西側の端の濠, すなわち上方, 方面から敵が攻めてくると想定されていたので西側の防御は特に重要であった, 今では水が抜いてあるが, いまでも堀の形がはっきりと残っており, 最寄り駅は, 四ツ谷駅自体が真田濠の中にある, ホームからエスカレータで上に登り四ツ谷駅の外に出て, 上智大学方面に歩き, 土手の上を南向きに入ってゆくと, 右手に巨大な濠のくぼみが今も残っており上智大学の運動用グラウンドになっており学生らがテニスやアーチェリーなどのスポーツをしているのが見える, 土手には桜が並び, 花見の名所で, 桜の季節には花見客でにぎわう, 攻めてくる敵から内部の人々を護る城として肝心なのは外側の濠である, 港区なので, 多方面からアクセス可能, 巨大城郭江戸城のどの遺構を見たいのかまず選び, その位置を特定し, 最寄り駅や交通機関を選ぶ, 江戸城の各場所および最寄りの駅, 公共交通機関, は次のとおり, 江戸城は日本一の大きさの, の巨大城郭であったので, 外堀跡は千代田区, 港区に所在している, 内郭は東京都千代田区あたり, 民間では, が推進する, のシンボルとすべく, に焼失した天守の再建を目指して活動し会員を募っている, 平成22年, 当時の資料を基にした寛永度天守の詳細な, 復元図を作成した, 現存の天守台に天守が建ったことはなく, 寛永天守を再建するにも寛永天守があった頃の天守台は現存天守台よりも1間から1間半ほど高い, 天守の復元について, 調査を踏まえた声明を発表し, 国際基準及び諸々の法律並びに歴史文化的, 理念的, 技術的課題から, 皇居東御苑の台座の上に天守を復元することは不可能に近く, npo法人などは天守復元に関するそうした諸問題を社会一般に開示することが求められている旨を述べた, 平成26年, 第三者機関の調査研究により, 皇居東御苑での天守再建は, npo法人では, 不可能に近いと検証された経緯を踏まえて, 平成27年, 並びに, 平成28年, に行われた, の通常総会において, 新事業主体の, を設立し, を目指すことが決議された, 前年の決議に基づき一般財団法人, が設立された, は世論喚起を目的に存続することが同年3月の総会で決議された, 同年10月, 一般財団法人は, 天守単体の再建は国際憲章や法律の制約並びに学術的, 歴史的, 文化的観点から極めて難題が多く, 学識者を含めた広範囲な合意形成は困難であるとの認識を踏まえ, 天守単体の再建から本丸御殿や城門等江戸城の全体整備へと, 新たな事業, 運動への構想転回を行った, 他方でnpo法人は, 皇居東御苑の本丸地区が, が行われる場所であることから, 本丸御殿の再建構想には同意せず, 天守に絞った再建を目指す活動をすることを表明, 両団体はそれぞれ独自に活動を進めることになった, 江戸城天守再建, 歴史文化まちづくりルネッサンスの会, 公益財団法人, 2016年, 2015年, 2014年, 2010年, 観光立国, 観光庁, 製作費約5, 000万円, 展示室建築費約5, 400万円の計約1億400万円と約2年間の期間をかけて, 寛永度天守の1, 30スケールの復元模型を製作した, 9月より, の本丸地区において公開している, 2020年, 皇居東御苑の江戸城, 復元模型, 江戸城障壁画下絵, 度本丸御殿再建の際に描かれた障壁画の下絵集であり, 御殿平面図と併せることで幕末期の御殿の内装を知ることを可能にした, 東京国立博物館, 狩野晴川院, 昭和43年, 二ノ丸跡を小堀遠州の, に復元し, 諏訪の茶屋を吹上御苑より移築した, 回遊式, 1968年, によって焼失した大手門が, 昭和42年, に復元された, 1967年, 東京大空襲, 昭和39年, 北ノ丸の清水門, 田安門の上部が復元された, 1964年, 江戸城再建論, 江戸城石垣石丁場跡, 神奈川県小田原市, 静岡県熱海市, 伊東市, 文部科学省構内から発見された江戸城外堀跡の石垣, 2004年6月13日撮影, 明治43年, に蓮池御門を, 正門として移築したが, 昭和20年, で焼失し, 後に復元された, 名古屋大空襲, 1945年, 1910年, には3代将軍家光誕生の間とされる江戸城の江戸期移築建物が, には二ノ丸にあった東照宮社殿が残る, 移築建物と川越城御殿の二つの御殿が見られる, 氷川神社, 都市再開発の動きに伴い, で外堀の石垣が地中より発掘された, 文部科学省, 霞が関, 丸の内, 近年の発掘, 江戸城跡のヒカリゴケ生育地, 天然記念物, 重要文化財指定, 昭和31年, 3月26日, 外堀跡が, に指定され, 昭和35年, 5月20日に, に指定された, 1960年, 1956年, 特別史跡指定, 関東大震災で倒壊後, 最初は内部はコンクリート造り, 後に木造で復元された富士見櫓, 桜田巽櫓や, 大番所なども, 管理のため, 重要文化財などには指定されていないが現存する, 門では, 以上は, が遺構として現存している, 港区に所在, 水をはった堀, 門の多くが遺構として現存している, そして, 明治元年, 江戸城は, 軍に明け渡された, 当時の幕府ではこれを単に, 明け渡し, と呼んでいたが, 後世の人々は, とも呼ぶようになった, 徳川慶喜や勝海舟らの決断により江戸の人々の血を流さずに済んだので, とも言われるようになったのである, 4月11日, 江戸の地に, が迫ってきた, 江戸の街はある程度護られていたとはいえ, 乱暴な新政府軍に江戸の街が焼かれ江戸の人々に多くの犠牲が出る可能性は非常に高かった, そこで, 徳川慶喜は, 江戸の町々と人々を護るための交渉の全権を幕府陸軍総裁の, に与えたところ, 勝海舟は交渉のできそうなほぼ唯一の人物として, を思い出したが, その時点で西郷が率いる大総督府軍の本陣は駿府, にあり, 隆盛と面会するには江戸から駿府までの道のりを敵中突破しなければならず, 徳川幕府の舵取りを任された海舟はそのような危険を冒すことはできなかったので, 幕臣の, を抜擢し, 駿府に向かわせた, 山岡鉄舟は剣術に優れているうえ, 禅で会得した不動の精神力の評判も高く, この重要な任務に適任と判断したのだった, 鉄舟は海舟から慶喜恭順の旨をしたためた手紙を託され駿府に向かい, 道中で新政府側の兵士に何者かと問われると, 堂々と, 徳川慶喜公の家臣である, と答えて相手を圧倒したと言われ, 慶喜直々の命令として駿府で隆盛との直談判に臨み, 交渉のおおかたの方向性を決め, 勝海舟と西郷による本会談へと繋いだ, かくして勝海舟と西郷の会談が実現し, 江戸の危機はまさにギリギリの状態で回避された, 江戸の町と江戸の人々の命を守りたいという海舟の願いに, 隆盛が敵味方を超えて共感したのだった, 江戸城を明け渡せば江戸総攻撃はしない, という条件にお互いが同意, 山岡鉄舟, 西郷隆盛, 勝海舟, 新政府, 慶応4年, 大番所, 江戸城には警備要員の詰所として多くの番所があったが, 現在残るのは下の三棟のみである, 大番所は中之門の奥に, 百人番所と同心番所は下乗門の奥と外にあり, それぞれの門を守っていた, 浜大手門, 喰違見附, 芝口見附, 外曲輪, 2010年4月5日撮影, 2009年7月13日撮影, 神田橋門, 雉子橋門, 内曲輪, 現在は移転して乾門, 当初の坂下渡り門は枡形をした櫓門だったが, 1888, に旧西の丸跡地に, とそれに連結する, を造営するにあたり, 現場に資材を搬入するために東向きの小振りな高麗門を撤去したうえで北向きの渡櫓門を90度時計回りに回転移設し, 門前の渡り橋もそれまでの木橋から二重濠と蛤濠を分断する頑丈な土橋に改修, ここに大型車両でも直進進入できる今日の坂下門の姿となった, 宮内省旧庁舎, 明治宮殿, 西丸中仕切門, 西丸玄関前門, 大田門, 山里門, 吹上門, 紅葉山下門, 二重橋, 不浄門, 帯郭門, 三ノ丸喰違門, 右奥の櫓門, 手前は番所, 手前の薬医門, 寺沢門, 奥の櫓門, 書院門, 玄関前門, 上埋門, 下埋門, 汐見坂門, 西桔橋門, 柚木門, 手前の橋場に建てられた高麗門とその後方の桁行18間, 梁間4間の櫓門で構成されていた, 現在の皇居正門で, 高麗門は現存しない, 三ノ丸中央部の枡形虎口に桁行22間, 梁間4間2尺の櫓門と高麗門で構成され, 大手前を繋いだ, 三ノ丸が屋敷地であった頃は下乗門が大手門であり, 現在の大手橋は, と呼ばれていた, 勅使の参向, 将軍の出入り, 諸侯の登城など, この門から行うのが正式であった, ここの警備は厳重を極め, 10万石以上の譜代諸侯がその守衛に勤仕し, 番侍10人, うち番頭1人, 物頭1人, が常に, を着て, 他の平士8人は, で控え, 鉄砲20挺, 10張, 20筋, 持筒2挺, 持弓2組を備えて警戒にあたった, 櫓門は桁行は15間から20間, 梁間が4間から5間ほどのものが建てられ, 最大では, 桁行25間, 芝口見附新橋門, のものもあったが, 享保9年, 1724年, 以降は24間, のものが最大となった, ちなみに, 最小規模は4間, 一の門である, と二の門の, で構成される, 大坂城や名古屋城の様な枡形の三方を櫓門, 多聞櫓で囲んだ型式は江戸城には少なく, 完全なのが下乗門, 不完全なものが北桔橋門にあるだけである, 高麗門, 外郭25棟, 内郭11棟, 城内87棟, 右上の茅葺き屋根の櫓, 不明櫓四棟, 左より巽奥三重櫓, 奥に見えるのは巽奥三重櫓, 右から百人組二重櫓, 手前右が蓮池巽三重櫓, 左が蓮池二重櫓, 奥にあるのは富士見三重櫓, 嘗ては二重櫓, 不明櫓二棟, 二ノ丸拡張前, 巽奥三重櫓, 百人組二重櫓, 蓮池二重櫓, 本丸から裏側, 左は北桔橋門, 手前が書院出二重櫓, 奥が御書院二重櫓, 遠侍東三重櫓, 台所前三重櫓, 汐見二重櫓, 不明櫓, 元和度工事前, 汐見太鼓櫓, 梅林櫓, 五十三間櫓, 三重櫓, 西側二重櫓, 御書院二重櫓, 南端より反時計回り, 以下同じ, は幕末まで現存した櫓, 現存するのは富士見三重櫓, に焼失した櫓, またここに記載されている櫓が一時期に全て存在した事はない, 本丸富士見多聞櫓, 多聞櫓は伏見櫓を挟んだ反対側にもある, 多聞櫓は嘗ては本丸, 二ノ丸のほとんどを囲っていたが, 時代を経るごとに本丸西側では塀へと置き換わっていった, 初重平面6間, 7間か7間, 8間を標準的な規模として, にも同様に用いた, 明治4年, に記された, 観古図説, 二重櫓の初重平面規模は最小で4間四方, 最大で8間, 三重櫓は6間, 7間から8間, 7間のものが記されている, 1871年, 江戸城の櫓は櫓門も含め, 塗籠壁, 寛永度天守除く, 幕紋の, を現す2本の, を施し, 妻壁には, 模様に張っていた, 初重に出張を設けて, としているものが多い, これらの特徴の一部は, 幕府が関与した, などの城郭にも施された, 石落とし, 青海波, 長押形, 足利二つ引, 幕末まで現存していた二之丸の蓮池巽三重櫓, 蓮池二重櫓の二棟は明治初年に接続する箪笥多聞櫓の火災が延焼し焼失した, 江戸城は幾度にもわたる火災によって焼失し, 現存する伏見櫓, 巽櫓なども大正期の, の際に損壊した後, 解体して復元されたものであるため, 櫓の構造などを考察するにあたっては, 明治初頭に撮影された写真や絵図, 文献などが用いられている, 関東大震災, 三重櫓6棟, 二重櫓10棟, 平櫓4棟, 多門櫓26棟, 元治度西ノ丸仮御殿, に描かれている西ノ丸御殿, が入城した後は天皇の住まい, 使節団を迎え, 天皇との謁見の場としても利用された, 当時の使節団は, 皇城の詳細な見取り図を作成して本国へ伝えている, 皇城は, 明治6年, 5月5日に焼失した, 守備は, が行った, 明治宮殿が建設された, 1888年, 西丸小姓組, 1873年, オーストリア, ハンガリー帝国, 1869年, 明治天皇, 御殿や櫓などは, 寛永11年, の三度にわたって焼失した, それまで踏襲してきた慶安度御殿の仕様を大幅に簡略した仮御殿として, に再建された, この西ノ丸仮御殿が, 5月3日, 4年4月11日, へ明け渡された, 1864年, 1634年, 本丸御殿と同じく, 大奥と仕切られていた, 主な部屋を挙げれば, 殿上間, 大廊下, 白木書院, 連歌の間, 山吹間, 芙蓉間, 桔梗間, 焼火間, 躑躅間, 梅竹間, 蘇鉄間などがある, 帝鑑の間, しかしこの御殿は5年後には早くも取り壊され, 寛永20年, には本丸御殿を簡略化した御殿が完成する, この御殿も明暦の大火で焼失し, 越谷別殿を移築している, この後も, に工事や再建が行なわれたが, 慶応3年, に焼失してその歴史を終えることになる, 12月23日, 1月17日, 1760年, 1704年, 1643年, に最初に建てられた御殿は小堀政一, 小堀遠州, の手によるもので, 表向の機能が省略された極めて遊興性の高いものであった, 南西にある, を背後に有し白鳥濠と繋がる池の中には能舞台, 水舞台, 対岸の畔にある御座や濠に突き出た釣殿から観覧することができた, 中央は御殿群があり, 東側にも池や築山, 池の中島にある, や御茶屋, 学問所や御文庫があった, 白書院上段下段, 大広間下段西面, 大広間上段西面, 本丸御殿表能舞台, 松の廊下から大広間, 白書院模型, 本丸御殿表向模型, 右から白書院, 松の廊下, 御休息は将軍の代替わり毎に建て替えが行われ, 御小座敷の周辺も改造が多い, 例えば, を好んだ, の時分には御休息の右に能舞台があり, また当時頻発した, 対策として, 地震之間, なる避難場所が中庭の二ヶ所に設置された, は華美な御休息を壊し, 一時期は廊下の一部を区画してそこで寝起きをした, これらは将軍の居住空間として前者は上段, 大溜で構成される中奥の応接所で政務を執る場, 後者は上段, 下段のみで寝室や居間として用いた, 中奥は表向の役人は原則として出入りを禁じられたが, 将軍と, する時のみ御座之間に入ることができた, 将軍は御座之間にいたが寝室として御休息, 更にプライベートな空間として, 等が造られた, 御目見, 白書院と, 主な部屋として上段, 西湖之間, 囲炉裏之間があり約190畳の広さを持つ, 他の御殿が, 造に対し, 造である, 初期は将軍の政務場所, その後は将軍の日常生活における応接所として用いた, 大広間に次ぐ格式を有する御殿, 大広間と, 連歌之間を主な部屋として約300畳の広さを持つ, 表における将軍の応接所として公式行事に用いられ, 婚姻の許可への御礼時に諸大名はここで将軍と面会した, 他に年始の内, とはここで対面をし, を迎える際には下段を宴席の間とした, 加賀前田家, 越前松平家, 帝鑑之間, 大広間は, 年始等の最も重要な公式行事に用いられ, 主な部屋は上段, 四之間があり, 西北から反時計回りで配置された, 南東の南には中門が, 東には御駕籠台があり大広間の権威を象徴する, また南面の向かい側には表能舞台があり, 大きな祝い事がある際の能の催しでは, その内の一日を, として, が南庭で能を見ることを許した, 町入能, 武家諸法度, 将軍宣下, 本丸御殿中で最高の格式と最大の規模を有する御殿, 東西方向50メートル, 約500畳に及ぶ広大な建物, 寛永17年の大広間には大屋根があったが, 焼失後の再建では中央に中庭が設けられ, 屋根を低くした, 表は儀礼空間であり御殿の改変は少ないが, 中奥は各将軍の好みに応じて頻繁に改造された, 表と中奥は大奥と異なり構造的には断絶していないが, 時計之間と黒書院奥の御錠口でのみ出入ができた, しかし表の役人は中奥には御座之間への将軍お目見え以外は立ち入ることは出来ず, 奥向の役人とは時計之間で会話を交わした, 主要な御殿として西側に大広間, 御休息が雁行しながら南から北に配置された, 表東側には表向の諸職の詰所や控室, 中奥東側には, 配下の詰所, 控室や台所などがある, の執務, 議事場は当初は黒書院, 家光晩年からは御座之間にあったが, 刺殺事件により表と中奥の間に御用部屋が設けられた, 彼らと将軍の仲介者である, は中奥の中央に詰所があった, 御側御用取次, 側用人, 将軍の御殿としての最初の本丸御殿は, に完成, 同16年焼失, 同17年, 明暦の大火で焼失, 万治2年, 天保15年, 弘化2年, 安政6年, 万延元年, と再建, 焼失を繰り返した, 文久の焼失以降は本丸御殿は再建されずに, 機能を西ノ丸御殿に移した, 1860年, 1845年, 1659年, 700坪, 300坪, が南から北にこの順で存在する, 表は将軍謁見や諸役人の執務場, 中奥は将軍の生活空間であるが, 政務もここで行った, 大奥は将軍の夫人や女中が生活する空間である, 大奥は表や中奥とは銅塀で遮られ, 後に二本, の廊下でのみ行き来ができた, 御殿は本丸, 三ノ丸御殿がある, 三ノ丸御殿は, 年間に廃絶された, 本丸御殿は将軍居住, 儀礼の場として江戸城の中心的な役割を持ち, 二ノ丸御殿は将軍別邸や隠居した将軍の側室が晩年に過ごす場所として, 西ノ丸御殿は隠居した将軍や世継の御殿として用いた, 中之口御門, 表諸職玄関, 上御鈴廊下, 下御鈴廊下, 対面所, 新御殿, 御新座敷, 御客座敷, 広敷御門, 二ノ丸御殿模型, 一部の建物は省略, 幕末期の御殿を復元しており, 実存していない天守も模型では再現されている, 寛永度天守の復元模型, 寛永度天守の復元図, に描かれた元和度もしくは寛永度天守, 江府御天守図, 寛永度天守図面, 図面による復元での計算によると天守の高さは58, 63メートルとなった, が発生した際, 閉じられているべき二重目の銅窓が過失で開かれていたがために, 城下町からの飛び火が天守を全焼させてしまった, 焼失後, 寛永度と同様の天守を再建する計画があって, それが簡単に立ち消えるものでもなかったことから, 提出された数多くの資料は大切に保管され続ける運びとなった, これが幸いし, 確定的な図面が現代まで遺されることとなった, このような事情により, 正確な姿が判明している, 内は柱間, 梁間は, 五重目, 桁行8間4尺, 梁間6間3尺, 柱数55本, 四重目, 桁行10間5尺, 梁間8間4尺, 柱数75本, 四重目より五重目まで通し柱9本, 三重目, 桁行13間2尺5寸, 梁間11間1尺5寸, 柱数127本, 三重目より四重目まで通し柱32本, 二重目, 15間, 13間, 桁行16間1尺, 梁間24間, 柱数155本, 一重目より三重目まで通し柱13本, 一重目, 桁行29間2尺9寸, 梁間27間1尺9寸, 柱数191本, 構造は5重5階, 地階を含めれば6階, の独立式層塔型で壁面は黒色になるよう塗料もしくは表面加工が施された銅板を張り, 屋根は銅瓦葺である, 高さは元和度と同じ本丸地上から天守台を含む30間, からも眺望ができたという, 甲良宗広, 寛永度天守は, から翌年にかけて天守台, 天守双方が完成している, が築いた天守台の位置は本丸北西の北桔橋門南, 規模は元和度を踏襲している, 元和度と縦横の位置を変えたとある, 黒田家続家譜, 材質は, 小天守台が設けられているが, 小天守は建てられていない, これは階段の踊り場のような意味で造られたからである, 基本的な構造は現在の天守台とほぼ同じであるが, と同じように東側の登り口以外に西側にも橋台と接続する形で出入口が設けられていた, 伊豆石, 浅野光晟, 黒田忠之, 寛永度天守, 元和度天守とされる図面, 慶長度または元和度天守とされる図面, 元和度天守も秀忠の死後に家光によって解体され造り直されている, この動機も秀忠, 家光の親子関係に起因するともいわれるが詳らかではなく, ほかに, への下賜説, 高層建築による漆喰の早期剥離に対する是正工事といった説がある, 天守の構造は, の層塔型とされ, 天守台を含めた高さは約30間, 約55メートル, 外観や諸構造については, 諸説ある, 西ヶ谷案は, より初重を2階建であったとしている, 黒色壁でもあったとしている, 西ヶ谷恭弘案, 内藤案は, 前述の通り, 一部の破風が異なる以外は寛永度天守とほぼ変わらない, 三浦案も白, 壁で銅瓦葺でない以外は内藤案と同様の見解を採っている, 内藤昌案, 宮上案では, 屋根は銅瓦葺, 壁は白漆喰としている, 寛永度天守との違いは各, の下に張り出しが設けられているのが特徴で, これは作事に当たった譜代の, 木原家の下にいる, に見られる意匠としている, 鈴木長次, 津軽家, 宮上茂隆案, 元和度天守は, から翌年にかけて天守台普請とその上屋, の作事が行われた, 位置は本丸東北の梅林坂にあった, 屋敷を破却し, その跡地に建てた, 御当家紀年録, もしくは寛永度天守と同じ位置とされる, の手による天守台の規模は慶長度の3分の1, 寛永度天守と同様に南側に小天守台があり, 自得公済美録, 高さも7間に縮小されている, 天守内部には東照宮があったとされている, 浅野長晟, 加藤忠広, 徳川忠長, 元和度天守, 内藤案以外は石垣, 屋根に到るまで白ずくめの天守であり, 岩渕夜話別集, でも富士山や雪山になぞらえている, この天守は秀忠によって解体され新たに造り直されている, 造り直しの動機は御殿の拡張が必要となった結果で, 宮上茂隆はこの初代天守は縮小した上で大坂城に移築されたとしている, 城郭研究者, 天守台の構造は宮上説と同じであるが, 天守は後期望楼型とする大竹正芳の図を宮上説とは別に紹介している, 門下の金澤雄記は20間四方は天守台の基底部として, 自然石と切石が一体の天守台とそこから直接建つ名古屋城天守を基にした後期望楼型の天守を考証している, 三浦正幸は, を慶長度としている, 三浦正幸, 西ヶ谷恭弘, は元和度天守のものとしており, 慶長度天守は5重7階, 腰羽目黒漆, 高欄の後期望楼型であったとしている, 作事大工は三河譜代の大工, 中井正清も協力したとする, 木原吉次, 内藤昌, 慶長度天守の復元案は, を基にした, の考証によると, 天守台は, と同じく20間四方, 高さ8間の自然石による広い石垣の上に, それより一回り小さい天守地階部となる高さ2間の切石による石垣が載っている2重構造で, の層塔型としている, 駿府城などとは異なり, 自然石と切石の間が狭いので多聞櫓などで囲われてはおらず, 天守台の周りには塀だけがあったと思われる, 高欄はなく, また最上階入側縁のみが6尺幅となっている, 白漆喰壁の鉛瓦で棟高は48メートル, 天守台も含めれば, 中央塔, 高さ65, 45メートル, に匹敵した, としている, 中井正清, 国会議事堂, 天守は同年中に竣工し, 1階平面の規模は, 最上階は7間5尺, 5間5尺, 棟高22間半, 5重で鉛瓦葺, もしくは7重, 毛利三代実録考証, 日本西教史, ともある, 天守台は白い, が用いられ, にまず自然石6間, 切石2間の高さ8間の天守台が黒田長政によって築かれた, 翌慶長12年に, 自然石と切石の間に自然石2間が追加され高さ10間, 20間四方となる, 位置は現在の本丸中央西寄にあり, 富士見櫓と寛永度天守との中間, 天守台とその北面に接する小天守台, 本丸西面の石垣と西側二重櫓をつなぐようにして天守曲輪があった, ただし当時の本丸は現在の南側3分の2程度であったため, 当時の地勢では北西にあることになる, 御影石, 慶長度天守, 大正頃の本丸天守台, 天守台の上には中央気象台の風力測定施設が置かれていた, 天守の代用とされていた富士見櫓, 西面図, 南面図, 現在の本丸天守台, が設立され, 江戸城天守再建の新たな動きとしてシンポジウムが計画されている, では不十分とされた木造建築物に対する新たな国際文書として1994年に批准された, に根拠を求めた天守再建を提唱し, 各法の見直しと共に天守の再建が可能であるとしている, 奈良文書, ikizama, 一般社団法人, で焼失する前の城, 城下町を描いたの図屏風や, 江戸城天守建地割図, という詳細な立面図, 平面図が残されている為, 民間では天守の木造復元を目的とする, が活動している, 天守木造復元には, の許可が必要であり, 文化庁は, 現存の天守台に天守を復元することは, 史実との整合性, 文化財保護の観点から課題がある, と認識していること, 天守台がある, が管轄する, 天守復元には宮内庁の同意も必要であるが, の象徴である江戸城の遺構を, 内に復元することには慎重な検討が必要, と考えていること, そのほか, 建築資金の確保や, 当時の建築様式で建造する際の耐震の問題などがある, 時点での政府見解は, 皇居東御苑は, を始めとして, が行われる皇居の一部分を成している地域であり, の利用状況を考えれば, 皇室用財産としての供用を見直すことは当面考え難い, が天守復元に関して調査を踏まえた声明を発表し, などの観点から, 皇居東御苑に現存する台座の上に天守を建築することは極めて難題が多く不可能に近いと言わざるを得ない, と述べた, 東御苑の台座の上に天守建築を標榜し, 世論を喚起し, 会員や市民から浄財, 会費や寄付, を得ている法人や個人は, 前述した天守再建についての具体的な問題指摘に対しての責任ある答えを速やかに, 社会一般に公開することが求められていることは言うまでもない, と述べ, 天守復元の広報活動において, 木造復元に関する諸問題の公表が十分に行われていない現状に懸念を示した, バリアフリー法, 消防法, 建築基準法, 文化財保護法, 国有財産法, 皇室用財産, 文化庁, 明治15年, 天守には, 地理局により天体観測, 緯度経度観測のための天測塔と気象観測の風力塔を兼ねた3, 63636メートル, 高さ30メートルのれんが造り5階建ての建物が置かれた, 測量事務が, 天体観測は, に移管されたため, 当該建物は以後, の風力測定のための施設となった, 風力測定台, 風力測定所, 測風塔, 風力塔と呼ばれた当該建物は, 中央気象台が, 大正9年, に旧本丸跡庁舎から麹町元衛町庁舎に移転し, 当該地に新たな風力測定施設が建てられた後も, 大正12年, 大正15年, 頃まで残されていた, 1926年, 1923年, 1920年, 中央気象台, 東京天文台, 参謀本部, 大日本帝国陸軍, 1889年, 内務省, 1882年, によって寛永度天守が焼失した後, 直ちに再建が計画され, 現在も残る御影石の天守台が加賀藩主の, によって築かれた, 高さは6間に縮小, 計画図も作成されたが, 幕閣の重鎮であった, 天守は, に築いたのが始まりであって, 城の守りには必要ではない, という意見により, 江戸市街の復興を優先する方針となって中止された, のちに, らによって再建が計画され, 図面や模型の作成も行われたが, これも実現しなかった, 以後は, 本丸の富士見櫓を実質の天守としていた, これ以降, 諸藩では再建も含め天守の建造を控えるようになり, 事実上の天守であっても, 御三階櫓, と称するなど遠慮の姿勢を示すようになる, 新井白石, 織田信長, 保科正之, 前田綱紀, 保科正之の言行録, 同年秋, 江戸の御城御殿向, 残らず御普請成就いたし, 御天守は出来不, 是は火事以後, 御天守, 始め御普請の儀, 御相談の時, 中将様被, 天守は近代織田信長以来の事にて, さのみ城の要害に利あると申すにも無, たゞ遠く観望いたす迄の事に候, 当時武家, 大小の輩, 家作仕候砌に, 公儀の御作事永引き候へば, 下々の障にも可, 斯様の儀は, 国力を被, 費候時節に有, 之まじく, 当分御延引可, 然との儀にて, 御天守の御普請は, 御沙汰相止み候由に候, 千年の松, の記録, 江戸大火事の事, 三壺聞書, 徳川家康の改築以降, 本丸の, と3度築かれている, どの天守も鯱や破風の飾り板を金の延板で飾っていた


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表示 テンプレートを表示 江戸城 えどじょう は 室町期 から 江戸期 にかけて 武蔵国 荏原郡 桜田郷 注釈 1 の麹町台地の東端に築かれた 平山城 2 関東平野 の南端 東京湾 の北隅に位置し 関東の 陸上交通 水上交通 の要だった 2 太田道灌 扇谷上杉氏 の家臣 がここに江戸城を築き 1457年 その後 上杉氏 後北条氏 徳川氏 へ受け継がれた 概説 編集 富士見櫓と周辺の堀 1885年 1890年頃に撮影 江戸城配置図 外郭 図の上は西 下は東 江戸城の惣構えに含まれる濠と川を青色で表示 上が北 下が南 江戸城配置図 内郭 江戸時代 編集 江戸時代 には 江戸幕府 の政庁が置かれ 徳川将軍家 15代の居城だった 千代田城 ちよだじょう とも呼ばれた 2 日本一の大きさの 巨大な 惣構え の城郭であり 濠が時計回りの渦巻状に幾重も巡らしてあり 場所は現在の地名で言えば 内郭部分が東京都 千代田区 注釈 2 あたりだが 惣構えの城郭で肝心なのはむしろ外側の濠のほうであり 城の西側の端は 真田濠 さなだぼり であり現在の 四谷 付近 北半分が 四ツ谷駅 南半分が 上智大学 のグラウンド敷地 3 4 惣構えの東側の端は 隅田川 であり 当初は防御のために意図的に橋をかけていなかった 5 外堀の北端は飯田橋付近の牛込門 現在の 牛込見附 であり 西から東に向かって流れる 神田川 に面しており 6 江戸城の南端は虎ノ門見附であり 現在の 虎ノ門駅 付近であった 7 8 注釈 3 1590年 に 徳川家康 が江戸城に入城し徳川家の居城となった そのころは武蔵野台地の東端にある いくつかの小さな建物から成る 城 砦 で 東側のすぐ下に 日比谷入江 が入り込んでいた 徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利し征夷大将軍となり 江戸に日本の幕府が置かれると 諸国の大名を動員して巨大な 濠 と 石垣 を時計回りの渦巻状に巡らして日本一の巨大な 惣構え を築くための大規模な拡張工事が 特に初代将軍徳川家康存命中の1603年 慶長8年 から10年の間に集中的に行われ 徳川秀忠 が将軍の座を譲られ第二代将軍であった時期 1605年から1623年 および第三代将軍 徳川家光 の代にも拡張工事が行われ 家光が将軍だった時期である1636年 寛永13年 に江戸城の西の端の外濠である真田濠の工事を完了したことで 巨大な惣構えの城が完成した これにより総構えの周囲約4 里 9 総面積が約20 82 平方キロメートル 2082 ヘクタール の巨大城郭となり これは日本で2番目に広い大阪城の約5倍の面積であり 10 日本最大面積の城郭になった 11 これを現代の距離や面積で表示すると 外郭は周囲約15 7キロメートル 東西が約5 45キロメートル 南北約3 82キロメートルあり 面積の 約2 082ヘクタール というのは 現代の千代田区 1 166ヘクタール の1 7倍の面積 という巨大さだった 12 およそ260年にわたり 徳川幕府の政庁 15代におよぶ徳川将軍 およびその家臣団が政務を行う場所となった 将軍 は江戸城内に住み 将軍の家族女性らが住む 大奥 も設けられた 将軍の補佐役の 老中 やその下の 若年寄 などは月番制つまり月替わり制でそれぞれ数名が担当し 江戸城周辺の屋敷から日々登城 出勤 した 13 江戸城に出勤する役方と呼ばれる人々は老中や若年寄以外にも 目付 奉行 小姓 等々もいた また江戸城には番方と呼ばれる警護 警備の仕事をする人々も必要で 一日を3分割して3交代制で勤務した それらを合算すると日中の江戸城には五千人ほどの男性が常駐していたと推算され 要出典 さらに大奥には幕末期で約1 000人 その以前の時期では600 700人ほどの婦女子がいたと言われている 14 ので 時間帯により人の出入りや増減はあるにせよ日中は六千名ほどが江戸城内にいたと推算される 要出典 現在でも見られる江戸城の姿 江戸城外堀は明治時代以降 鉄道用地や都市開発のために多くが埋め立てられ 水面の多くが失われたが 現在も 飯田橋 から 四ツ谷 赤坂見附 にかけての区間には 掘割 が残り水路として利用されており 江戸城外堀跡 は国指定の史跡 特別史跡 に指定されている 15 16 また北の丸 注釈 4 は 北の丸公園 として開放されており 誰でも散歩が可能である 時刻によるが 田安門と田安門櫓 清水門なども散歩が可能である 現地情報 アクセス 歴史 編集 江戸 編集 詳細は 江戸 を参照 江戸 武蔵国 豊島郡 江戸 郷 現在の 東京都区部 の一部 の地名は 平安時代 末期に小地名が生まれ 平川 日本橋川 の前身で 日比谷入江 に注いだ 河口部の東岸側で 神田山 駿河台 に挟まれた低地を指した 771年もしくは805年以降の古代 東海道 がこの河口部を渡り 浅草 方向へ向かい 常陸国 へ至った 江戸氏 編集 この地に最初に根拠地を置いた 武家 は 秩父平氏 の 江戸重継 で 平安時代 末期 この地名を名乗りとした 江戸氏 は 鎌倉時代 初期にかけて 平川 西岸 荏原郡 桜田郷 の麹町台地東端も勢力下とした 後世の江戸城の位置 江戸氏はその桜田郷の台地に居館を置いたとの説もあるが 新編武蔵風土記稿 歴史学者の 山田邦明 は 名乗り通りに 豊島郡 江戸 郷内のはずであると主張した 現在の 水道橋 付近と推定 なお 桜田郷に関しては 室町時代 前期の 応永 30年 1423年 に江戸氏一族である江戸大炊助重継が 武州豊嶋郡桜田郷 の土地売却を巡って訴訟を起こしていることから 鎌倉時代以降の江戸氏の発展によって江戸郷に隣接する桜田郷も江戸氏の支配下に置かれ その後桜田郷が豊島郡の一部として認識され 更に江戸郷を中心とした 江戸 の一部とみなされたことが裏付けられる 17 18 築城 編集 15世紀 の 関東 の騒乱で江戸氏が没落し江戸郷 桜田郷から退去したのち 扇谷上杉氏の 上杉持朝 の家臣である 太田道灌 が 享徳の乱 に際して 康正 3年 1457年 に 江戸城を桜田郷に築城した 江戸幕府の公文書である 徳川実紀 ではこれが江戸城のはじめとされる 道灌当時の江戸城については 正宗龍統 の 江戸城静勝軒詩序并江亭記等写 や 万里集九 の 梅花無尽蔵 によってある程度までは推測できる それによれば 子城 中城 外城 の三重構造となっており 周囲を切岸や水堀を巡らせて門や橋で結んでいたとされる 子城 は本丸の漢語表現とされる 子城 本丸 は現在の富士見櫓の位置と推測される 江戸城静勝軒詩序并江亭記等写 によれば道灌は本丸に静勝軒と呼ばれる居宅を設け 背後に閣を築いたという 梅花無尽蔵 は江戸城の北側に 菅原道真 が祀られて 梅 林があったことが記されている 注 1 上記の築城当時の江戸城は 現在の本丸に3つの曲輪が連なる連郭式城郭で 最南端に子城 本丸 があり 尾根沿いにある現在の北の丸方面に大手門が開かれていたと考えられる 太田道灌時代の面影を残すとされる下道灌濠 道灌が 上杉定正 に殺害された後 江戸城は上杉氏の所有するところ 江戸城の乱 となり 上杉朝良 が 隠居 城として用いた ついで 大永 4年 1524年 扇谷上杉氏を破った 後北条氏 の 北条氏綱 の支配下に入る 江戸城の南には 品川湊 があり 更にその南には 六浦 金沢 を経て 鎌倉 に至る水陸交通路があったとされていることから 関東内陸部から 古利根川 元荒川 隅田川 当時は 入間川 の下流 を経て品川や鎌倉へ 水運 では 東京湾 から 太平洋 の 外洋 に向かうための交通路の掌握のために重要な役割を果たしたと考えられている 天正 18年 1590年 豊臣秀吉 の小田原攻め 小田原征伐 の際に開城 秀吉によって後北条氏旧領の 関八州 を与えられた徳川家康が 同年 8月 朔日 1590年 8月30日 駿府 現在の 静岡市 から江戸に入った 注 2 一般に言われる話では そこには 道灌による築城から時を経て荒れ果てた江戸城があり 茅葺 の家が100軒ばかり 大手門 の北寄りにあった とされる 城の東には 低地 があり街区の町割をしたならば10 町 足らず しかも 海水 が入り込む茅原であった 西南の台地は ススキ 等の 野原 がどこまでも続き 武蔵野 に連なった 城の南は 日比谷の入り江 で 沖合に点々と 砂州 が現れていたという 注 3 江戸時代 編集 江戸城登城風景図屏風 1847年 国立歴史民俗博物館 所蔵 ウィキソースに 慶長見聞集 の原文 南海をうめ江戸町立て給ふ事 があります 天下普請前 江戸幕府を開いた徳川将軍家の祖である家康が入城した当初 江戸城は道灌の築城した小規模な城でありかつ築城から時を経ており荒廃が進んでいたため それまでの 本丸 二ノ丸に加え 西ノ丸 三ノ丸 吹上 北ノ丸を増築 また 道三堀 や 平川 を 江戸前島 中央部へ移設した それに伴う残土により 現在の西の丸下の半分以上の埋め立てを行い 同時に街造りも行っている 規模だけを見れば 同時代の豊臣期大坂城や小田原城に勝るとも劣らない広大な城になった ただし 当初は 豊臣政権 の大名としての改築であり 関ヶ原の戦い による家康の政権掌握以前と以後ではその意味合いは異なっていたと考えられている 別本慶長江戸図 は天下普請前 慶長7年頃の江戸城を描かれたとされる 慶長期天下普請 慶長 8年 1603年 家康が江戸開府して以降は 天下普請 による江戸城の拡張に着手 江戸前島東側に舟入堀を開削 神田山を崩して 日比谷入江 を完全に埋め立て 町割 を実施 日本橋 を初めて架橋した 慶長11年 1606年 諸大名に石材を運送させ 増築した この増築は 家康による江戸城の大規模な改修事業の一環であり 江戸幕府の政治的中枢を整備するために行われたものである その工事分担は 外郭石壁普請 細川忠興 前田利常 池田輝政 加藤清正 福島正則 浅野幸長 黒田長政 田中吉政 鍋島勝茂 堀尾吉晴 山内忠義 毛利秀就 有馬豊氏 生駒一正 寺沢広高 蜂須賀至鎮 藤堂高虎 京極高知 中村一忠 加藤嘉明 天守台の築造 黒田長政 石垣普請 山内一豊 藤堂高虎 木下延俊 本丸の普請 吉川広正 毛利秀就 城廻の普請 遠藤慶隆 などであった 翌慶長12年 1607年 には関東 奥羽 信越 の諸大名に命じて天守台および石垣などを修築し このときは高虎は設計を行い 関東諸大名は5手に分れて 80万石で石を寄せ 20万石で天守の 石垣 を築き 奥羽 信越の 伊達政宗 上杉景勝 蒲生秀行 佐竹義宣 堀秀治 溝口秀勝 村上義明 などは堀普請を行った この年に慶長度天守が完成 慶長江戸絵図 はこの間の江戸城を描いたとされる 慶長16年 1611年 西ノ丸 吹上の堀普請を 東国 大名に課役し 将軍徳川秀忠はしばしばこれを巡視した 慶長17年 1612年 西国大名に伊豆から石を運ばせて 舟入堀の修築として海を埋め立てて 三十間堀川 や 八丁堀川 楓川 を埋め残す形で開削 また既存堀や橋台の石垣化を行わせ 同時に新たに整備した埋立地の町割を行った 慶長19年 1614年 石垣の修築を行い 夏から冬にかけて工事を進めた 10月2日 には 家康は 大坂の陣 の陣触れを出し江戸留守居役を除く諸大名は この地からの参加を余儀なくされ諸大名は著しく疲弊した このため翌年の大坂夏の陣終結後 家康は3年間天下普請を止めるように指示をした 元和期天下普請 元和 4年 1618年 に 紅葉山 東照宮 を造営し また 神田川 の開削を行う 元和6年 1620年 東国大名に内桜田門から清水門までの石垣と各枡形の修築を行わせる 元和8年 1622年 には本丸拡張工事を行ない それに併せて天守台 御殿を修築し同年には元和度天守が完成する また 寛永 元年 1624年 隠居所として西ノ丸殿舎の改造が行なわれた 寛永期天下普請 寛永 5年 1628年 から翌年にかけて本丸 西丸工事と西ノ丸下 外濠 旧平河の石垣工事 また各所の城門工事が行われる 武州豊島郡江戸庄図 はこの間の江戸を描いたとされる 寛永12年 1635年 二ノ丸拡張工事が行われた 寛永13年 1636年 には石垣担当6組62大名 濠担当7組58大名の合計120家による 飯田橋 から 四谷 赤坂 を経て溜池までを掘り抜き 石垣 城門を築く外郭の修築工事が行なわれる 寛永14年 1637年 には天守台 御殿を修築し 翌年には寛永度天守が完成する しかし早くも寛永16年 1639年 に本丸を火災で焼失するが 翌年には再建 最後に 万治 3年 1660年 より神田川 御茶ノ水 の拡幅工事が行われ 一連の天下普請は終了する 徳川江戸城の築城においては 町づくりを含め 伊豆 の石材は欠かせないものであった 壮大な石垣用の石材は ほとんど全てを 相模 西部から 伊豆半島 沿岸の火山地帯で調達し 海上を船舶輸送して築いたものである 22 静岡県 東伊豆町 では 江戸城に使う石を切り出し港まで運ぶ様子を再現した 御石曳き が行われている 本丸 二ノ丸 三ノ丸に加え 西ノ丸 西ノ丸下 吹上 北ノ丸の周囲16kmにおよぶ区画を本城とし 現在の千代田区と 港区 新宿区 の境に一部が残る外堀と 駿河台を掘削して造った神田川とを 総構え とする大城郭に発展した その地積は本丸は10万5 000余町歩 西ノ丸は8万1 000町歩 吹上御苑 は10万3 000余町歩 内濠の周囲は40町 外濠の周囲は73町となり 城上に20基の櫓 5重の天守を設けた その後の江戸城 以後 200年以上にわたり江戸城は江戸幕府の中枢として機能した 江戸時代後期に 伊能忠敬 が作成した 大日本沿海輿地全図 大図の第90図には江戸城が描かれているが 城内の建物群配置は機密であったため空白で 諸街道に通じる九つの門のみが記されている 23 正保 4年 1647年 江戸を襲った地震により城中の石垣が5 6間崩れる 西丸櫓下 西の土橋 的場曲輪 西丸下の石垣 麹町門側角石垣 紅葉山の後ろの神田橋 呉服橋 鍛冶橋などに被害 24 明暦 3年 1657年 明暦の大火 により 天守 を含めた城構の多くを焼失し その後 天守の再建はなかった 25 延享 4年 1747年 火災で二ノ丸焼失 弘化 元年 1844年 火災で本丸 大奥を焼失 嘉永 5年 1852年 火災で西ノ丸を焼失 安政 2年 1855年 安政大地震 により石垣 櫓 門など多大な被害を受ける 安政 6年 1859年 火災で本丸を焼失 文久 3年 1863年 火災で 本丸 二ノ丸 西ノ丸を焼失 その後 本丸の再建はなかった 慶応 3年 1867年 火災で二ノ丸を焼失 その後 二ノ丸の再建はなかった 江戸城内の主な事件 出来事 寛永 5年 1628年 旗本 目付 の 豊島信満 が 老中 の 井上正就 を西ノ丸廊下で殺害 豊島は旗本 小十人 の青木義精に取り押さえられ その状態で自害したが その刃は豊島の体を突き抜けて青木の体に到達し 青木も死亡した 犯行動機は豊島は井上正就の嫡子 正利 の縁談を進めていたが 春日局 の介入で豊島の縁談話が破談になったことを恨んでの犯行であった 江戸城で起こった最初の刃傷沙汰である 貞享 元年 1684年 美濃 青野藩 主の 稲葉正休 が本丸御用部屋付近で 大老 の 堀田正俊 を殺害 その場で稲葉は老中の 大久保忠朝 阿部正武 戸田忠昌 に討ち取られた 淀川 の治水をめぐる対立が原因とみられる 元禄 14年 1701年 赤穂藩 主の 浅野長矩 が本丸の 松之大廊下 で旗本 高家 の 吉良義央 を襲撃 吉良は負傷したが命は助かり 浅野は幕命で 切腹 改易 となった 翌年に浅野の遺臣の 大石良雄 らが吉良を襲撃して討ち取った 犯行動機は諸説あり 詳細は 赤穂事件 参照 享保 10年 1725年 信濃 松本藩 主 水野忠恒 が本丸 松之大廊下 で 長府藩 世子の 毛利師就 を襲撃 毛利は負傷したが命は助かった 水野は 改易 となったが死罪にはならず 蟄居を命じられた 水野は自身の領地が取り上げられて毛利に与えられることになると思ったと供述 享保 16年 1731年 八代将軍 徳川吉宗 が次男の 宗武 に江戸城田安門内に屋敷を与えた 御三卿 田安徳川家 の創設 元文 5年 1740年 八代将軍 徳川吉宗 が四男の 宗尹 に江戸城一橋門内に屋敷を与えた 御三卿 一橋徳川家 の創設 延享 4年 1747年 旗本寄合席 の 板倉勝該 が本丸大広間の 厠 で 熊本藩 主の 細川宗孝 を殺害 勝該は細川の背後から襲ったが 実は同族の 板倉勝清 を襲うつもりで 見違いによる犯行だった 勝該は幕命で切腹 宝暦 8年 1758年 九代将軍 徳川家重 が次男の 重好 に江戸城清水門内に屋敷を与えた 御三卿 清水徳川家 の創設 天明 4年 1784年 旗本 新番 士の 佐野政言 が本丸中之間で 若年寄 の 田沼意知 を殺害 佐野は幕命で切腹 犯行動機は諸説あり 文政 6年 1823年 旗本 西ノ丸 書院番 士の 松平外記 が西丸書院番所で 同僚5人を襲撃 同僚5人のうち本多伊織 戸田彦之進 沼間左京は即死し 間部詮芳 は重傷を負って後に死亡 神尾五郎三郎だけは負傷のみで命は助かったが 幕命で改易となった 外記はその場で自害 いじめ が原因とみられる 詳細は 千代田の刃傷 参照 縄張 編集 本丸と西ノ丸が独立している 一城別郭の形式である 武蔵野台地 の東端にある地形を活用しており 特に山の手側は 谷戸 を基に濠を穿ったので曲面の多い構造をしている 逆に下町は埋立地なので 直線的に区画された水路や街並みを見ることができる 石垣を多く見ることができるが これらは天下普請の時にはるばる 伊豆半島 から切り出され船で送られたものである 注 4 それまでは他の関東の城と同じく土塁のみの城だったとされるが 関東領国時代に石垣が施された 箕輪城 の例から本丸の一部に石垣があったとする見解もある 関東で石垣を多用した近世城郭は江戸城と 小田原城 しかない それでも外郭や西ノ丸 吹上などは土塁が用いられているが 特に吹上の土塁は雄大である 内郭 編集 本丸 本丸御殿を擁する江戸城 並びに徳川家 江戸幕府の中心 関東入国後に3つあった曲輪の間にあった空堀を埋めて拡張した その後 本丸御殿の拡張のために 元和の改修時に北に2段あった出丸の1つを 明暦の大火後に残るもう1つの出丸と二ノ丸の間にあった東照宮を廃して規模を更に拡張している 寛永期に残存していた出丸は的場曲輪として 弓 鉄砲の調練が行なわれていた 江戸図屏風 二ノ丸との間にある白鳥濠は嘗ては両者を大きく隔てていたが 拡張に伴いその面積を大きく縮小させている 本丸南東より天守台方向 白鳥濠と本丸東側の石垣 蓮池濠と本丸西側の石垣 平川濠と本丸北側の石垣 二ノ丸 二ノ丸庭園 入国時は屋敷地で本丸の帯曲輪の様な存在であった 慶長期に中之門が置かれ また寛永期には拡張されて二ノ丸御殿が造られる 内部は石垣で複数に区画がなされており 下乗門から本丸へ向かうには中之門を 二ノ丸御殿へ向かうには銅門を 西ノ丸方面には寺沢門を通る必要があった 大正時代に二ノ丸と三ノ丸の間にあった堀が埋め立てられている 三ノ丸 入国時は外郭とされ 日比谷入江 と接していた 平川を濠に見立てて 堤防を兼ねた土塁には舟入用にいくつか木戸が設けられていた 以後は屋敷地とされていたが 二ノ丸拡張の煽りを受けて敷地が大幅に減少した結果 内郭に組み込まれ小さな御殿と 勘定所 以外は空地となり登城大名の家臣の控え場になる また この時に大手門が二ノ丸から三ノ丸に移転している 西ノ丸 聞書集 霊岩夜話 参考落穂集 などによれば 天正 年間に徳川家康が入城した頃は この地は丘原であり 田圃 があり 春になれば 桃 桜 ツツジ などが咲き 遊覧の地であったという 1592年 文禄元年 から翌年にかけて 西ノ丸は創建された 創建された当時は 新城 新丸 御隠居城 御隠居曲輪などといった 西ノ丸大手門の内側は西ノ丸内では特に的場曲輪と呼ばれている 西には山里丸があり 徳川家光が 小堀政一 へ命じて園池 茶室 を造らせて新山里と呼んだ その西に山里馬場があり 後門が坂下門である かつては通行が許され この門を通り紅葉山下をへて半蔵門に至った 紅葉山 本丸と西丸の間にある高地で 江戸城内で最も高い場所 かつては 日枝神社 が祭られており 開幕前には庶民が間を抜けて参拝することができたが 拡張で城域に取り込まれたために慶長9年に移転している 慶長12年には麓の本丸と西之丸の間で勧進能が開かれ 家康 秀忠や諸大名が桟敷で また町民にも観覧を許している その後は 東照宮 や 各将軍の霊廟 が造営され また麓には具足蔵 鉄砲蔵 屏風蔵があった また西ノ丸側の麓には 秘閣図書 や 紅葉山文庫 神官 で 国学者 の 鈴鹿連胤 が献上した蔵書を収めた御書物蔵があり 1873年の火災で蔵が焼失した際には 太政官 正院 が文書の復旧を命じている 注 5 紅葉山 も参照 北ノ丸 北の丸公園 を参照 吹上 吹上御苑 を参照 西ノ丸下 入国時はほぼ 日比谷入江 であった場所 海と繋がっていた頃は荷揚げ場や人寄場 増上寺 の他に 本多忠勝 や 里見氏 の屋敷があったが 継続して埋め立てが行われ海から切り離されて以降は主に幕閣に連なる 譜代大名 の屋敷地となる 注 6 初期には奥の道三堀と接する一帯には和田倉という蔵地が置かれ 蔵がなくなって以降も和田倉門の名が後世に残った また西側には 厩 東側には 馬場 があり 隣接する門は馬場先門と呼ばれたが この門は 寛文 8年 1668年 まで不明門であった 皇居外苑 も参照 江戸城内郭の配置図 航空写真 嘉永 2年 1849年 江戸城内郭の配置図 1 本丸大奥 2 中奥 3 表 4 二ノ丸御殿 5 二ノ丸 6 紅葉山 7 西ノ丸 8 吹上 9 北ノ丸 10 11 三ノ丸 12 西ノ丸下 13 大手前 14 大名小路 江戸城内郭付近の航空写真 2019年撮影 国土交通省 国土画像情報 カラー空中写真 現 地図 空中写真閲覧サービス の空中写真を基に作成 外郭 編集 大手前 大名小路 開幕前は侍衆 町人が混在している居住地であったが 開幕後は大名屋敷地となる 大名屋敷の他には大手前には一ツ橋家の屋敷や舂屋 つきや 精米所 小普請屋敷 北町奉行所 が 大名小路には 評定所 や南町奉行所があった 総構 外濠 東京都 を参照 建築物 編集 天守 編集 太田道灌築城以降の象徴的建物は 静勝軒という 寄棟造 の多重の御殿建築 3重とも で 落穂集 には八方正面の櫓として富士見櫓の位置にあったとする 江戸時代に 佐倉城 へ銅櫓として移築されたが 明治維新 後に解体された 佐倉城の銅櫓は二重櫓で2重目屋根が 方形造 で 錣屋根 のようになっていた 徳川家康の改築以降 本丸の 天守 は 慶長度 1607年 元和度 1623年 寛永度 1638年 と3度築かれている どの天守も鯱や破風の飾り板を金の延板で飾っていた 注 7 ウィキソースに 三壺聞書 の原文 明暦の大火 の記録 江戸大火事の事 があります ウィキソースに 千年の松 の原文 保科正之の言行録 一 同年秋 江戸の御城御殿向 残らず御普請成就いたし 御天守は出来不 申候 是は火事以後 御天守 始め御普請の儀 御相談の時 中将様被 仰上 候は 天守は近代織田信長以来の事にて さのみ城の要害に利あると申すにも無 之 たゞ遠く観望いたす迄の事に候 当時武家 町家 大小の輩 家作仕候砌に 公儀の御作事永引き候へば 下々の障にも可 相成 候 斯様の儀は 国力を被 費候時節に有 之まじく 当分御延引可 然との儀にて 御天守の御普請は 御沙汰相止み候由に候 があります 明暦 3年 1657年 の 明暦の大火 によって寛永度天守が焼失した後 直ちに再建が計画され 現在も残る御影石の天守台が加賀藩主の 前田綱紀 によって築かれた 高さは6間に縮小 計画図も作成されたが 幕閣の重鎮であった 保科正之 の 天守は 織田信長 が 岐阜城 に築いたのが始まりであって 城の守りには必要ではない という意見により 江戸市街の復興を優先する方針となって中止された 注 8 のちに 新井白石 らによって再建が計画され 図面や模型の作成も行われたが これも実現しなかった 以後は 本丸の富士見櫓を実質の天守としていた これ以降 諸藩では再建も含め天守の建造を控えるようになり 事実上の天守であっても 御三階櫓 と称するなど遠慮の姿勢を示すようになる 1882年 明治15年 になると 天守には 内務省 地理局により天体観測 緯度経度観測のための天測塔と気象観測の風力塔を兼ねた3 63636メートル 2間 四方 高さ30メートルのれんが造り5階建ての建物が置かれた 1889年 明治21年 になると 測量事務が 大日本帝国陸軍 参謀本部 に 天体観測は 東京天文台 に移管されたため 当該建物は以後 中央気象台 の風力測定のための施設となった 26 風力測定台 風力測定所 測風塔 風力塔と呼ばれた当該建物は 中央気象台が 1920年 大正9年 に旧本丸跡庁舎から麹町元衛町庁舎に移転し 当該地に新たな風力測定施設が建てられた後も 1923年 大正12年 又は 1926年 大正15年 頃まで残されていた 27 明暦の大火 で焼失する前の城 城下町を描いたの図屏風や 江戸城天守建地割図 という詳細な立面図 平面図が残されている為 民間では天守の木造復元を目的とする npo法人 江戸城天守を再建する会 が活動している しかし 天守木造復元には 文化庁 の許可が必要であり 文化庁は 現存の天守台に天守を復元することは 史実との整合性 文化財保護の観点から課題がある と認識していること 28 天守台がある 皇居東御苑 は 宮内庁 が管轄する 皇室用財産 であり 天守復元には宮内庁の同意も必要であるが 宮内庁は 武家 の象徴である江戸城の遺構を 皇居 内に復元することには慎重な検討が必要 と考えていること 28 29 そのほか 建築資金の確保や 当時の建築様式で建造する際の耐震の問題などがある 28 なお 2017年 平成29年 時点での政府見解は 皇居東御苑は 大嘗祭 を始めとして 皇室行事 が行われる皇居の一部分を成している地域であり 現在の 皇室 の利用状況を考えれば 皇室用財産としての供用を見直すことは当面考え難い である 30 2019年 令和元年 には 一般財団法人 江戸東京歴史文化ルネッサンス が天守復元に関して調査を踏まえた声明を発表し ヴェネツィア憲章 国有財産法 文化財保護法 建築基準法 消防法 バリアフリー法 などの観点から 皇居東御苑に現存する台座の上に天守を建築することは極めて難題が多く不可能に近いと言わざるを得ない と述べた 31 32 また 東御苑の台座の上に天守建築を標榜し 世論を喚起し 会員や市民から浄財 会費や寄付 を得ている法人や個人は 前述した天守再建についての具体的な問題指摘に対しての責任ある答えを速やかに 社会一般に公開することが求められていることは言うまでもない と述べ 天守復元の広報活動において 木造復元に関する諸問題の公表が十分に行われていない現状に懸念を示した 31 近年 一般社団法人 ikizama が設立され 江戸城天守再建の新たな動きとしてシンポジウムが計画されている ヴェネツィア憲章 では不十分とされた木造建築物に対する新たな国際文書として1994年に批准された 奈良文書 に根拠を求めた天守再建を提唱し 各法の見直しと共に天守の再建が可能であるとしている 33 現在の本丸天守台 再建天守計画図 南面図 再建天守計画図 東 西面図 天守の代用とされていた富士見櫓 大正頃の本丸天守台 天守台の上には中央気象台の風力測定施設が置かれていた 慶長度天守 天守台は白い 御影石 が用いられ 慶長見聞集 1606年 慶長11年 にまず自然石6間 切石2間の高さ8間の天守台が黒田長政によって築かれた 翌慶長12年に 自然石と切石の間に自然石2間が追加され高さ10間 20間四方となる 当代記 位置は現在の本丸中央西寄にあり 富士見櫓と寛永度天守との中間 天守台とその北面に接する小天守台 本丸西面の石垣と西側二重櫓をつなぐようにして天守曲輪があった 慶長江戸絵図 注 9 ただし当時の本丸は現在の南側3分の2程度であったため 当時の地勢では北西にあることになる 天守は同年中に竣工し 1階平面の規模は 柱間 7尺間 18間 16間 最上階は7間5尺 5間5尺 棟高22間半 愚子見記 5重で鉛瓦葺 慶長見聞集 もしくは7重 毛利三代実録考証 9重 日本西教史 ともある 注 10 慶長度天守の復元案は 中井家指図 を基にした 宮上茂隆 の考証によると 天守台は 駿府城 や 淀城 と同じく20間四方 高さ8間の自然石による広い石垣の上に それより一回り小さい天守地階部となる高さ2間の切石による石垣が載っている2重構造で 5重5階 地階1階を含めると6階 の層塔型としている 駿府城などとは異なり 自然石と切石の間が狭いので多聞櫓などで囲われてはおらず 天守台の周りには塀だけがあったと思われる 廻縁 高欄はなく また最上階入側縁のみが6尺幅となっている 白漆喰壁の鉛瓦で棟高は48メートル 天守台も含めれば 国会議事堂 中央塔 高さ65 45メートル に匹敵した 作事大工は 中井正清 としている 一方 内藤昌 は 中井家指図 は元和度天守のものとしており 慶長度天守は5重7階 腰羽目黒漆 廻縁 高欄の後期望楼型であったとしている 作事大工は三河譜代の大工 木原吉次 中井正清も協力したとする 城郭研究者 西ヶ谷恭弘 は 天守台の構造は宮上説と同じであるが 天守は後期望楼型とする大竹正芳の図を宮上説とは別に紹介している また 三浦正幸 門下の金澤雄記は20間四方は天守台の基底部として 自然石と切石が一体の天守台とそこから直接建つ名古屋城天守を基にした後期望楼型の天守を考証している その後 三浦正幸は 津軽家古図 を慶長度としている 注 11 内藤案以外は石垣 壁 屋根に到るまで白ずくめの天守であり 慶長見聞集 岩渕夜話別集 でも富士山や雪山になぞらえている この天守は秀忠によって解体され新たに造り直されている 造り直しの動機は御殿の拡張が必要となった結果で 宮上茂隆はこの初代天守は縮小した上で大坂城に移築されたとしている 元和度天守 元和度天守は 1622年 元和8年 から翌年にかけて天守台普請とその上屋 天守 の作事が行われた 位置は本丸東北の梅林坂にあった 徳川忠長 屋敷を破却し その跡地に建てた 御当家紀年録 もしくは寛永度天守と同じ位置とされる 加藤忠広 浅野長晟 の手による天守台の規模は慶長度の3分の1 寛永度天守と同様に南側に小天守台があり 自得公済美録 高さも7間に縮小されている 天守内部には東照宮があったとされている 注 12 天守の構造は 5重5階 地階1階を含めると6階 の層塔型とされ 天守台を含めた高さは約30間 約55メートル とされる 外観や諸構造については 諸説ある 宮上茂隆案 宮上案では 旧 津軽家 の 江戸御殿守絵図 津軽家古図 を比定し 屋根は銅瓦葺 壁は白漆喰としている 寛永度天守との違いは各 破風 の下に張り出しが設けられているのが特徴で これは作事に当たった譜代の 鈴木長次 木原家の下にいる 三河 大工 に見られる意匠としている 内藤昌案 内藤案は 前述の通り 中井家指図 を比定し 一部の破風が異なる以外は寛永度天守とほぼ変わらない 三浦案も白 漆喰 壁で銅瓦葺でない以外は内藤案と同様の見解を採っている 西ヶ谷恭弘案 西ヶ谷案は 武州豊島郡江戸庄図 より初重を2階建であったとしている また 黒色壁でもあったとしている 元和度天守も秀忠の死後に家光によって解体され造り直されている この動機も秀忠 家光の親子関係に起因するともいわれるが詳らかではなく ほかに 仙台城 への下賜説 高層建築による漆喰の早期剥離に対する是正工事といった説がある 中井家指図 慶長度または元和度天守とされる図面 江戸御殿守絵図 元和度天守とされる図面 寛永度天守 寛永度天守は 1636年 寛永13年 から翌年にかけて天守台 天守双方が完成している 黒田忠之 浅野光晟 が築いた天守台の位置は本丸北西の北桔橋門南 規模は元和度を踏襲している また 元和度と縦横の位置を変えたとある 黒田家続家譜 材質は 伊豆石 小天守台が設けられているが 小天守は建てられていない これは階段の踊り場のような意味で造られたからである 基本的な構造は現在の天守台とほぼ同じであるが 大坂城 と同じように東側の登り口以外に西側にも橋台と接続する形で出入口が設けられていた 構造は5重5階 地階を含めれば6階 の独立式層塔型で壁面は黒色になるよう塗料もしくは表面加工が施された銅板を張り 屋根は銅瓦葺である 高さは元和度と同じ本丸地上から天守台を含む30間 下総 からも眺望ができたという 作事大工は 甲良宗広 1657年 明暦3年 に 明暦の大火 が発生した際 閉じられているべき二重目の銅窓が過失で開かれていたがために 城下町からの飛び火が天守を全焼させてしまった 焼失後 寛永度と同様の天守を再建する計画があって それが簡単に立ち消えるものでもなかったことから 提出された数多くの資料は大切に保管され続ける運びとなった これが幸いし 確定的な図面が現代まで遺されることとなった このような事情により 正確な姿が判明している 規模 内は柱間 7尺間 桁行 梁間は 京間 地階 12間 10間 一重目 18間 16間 桁行29間2尺9寸 梁間27間1尺9寸 柱数191本 二重目 15間 13間 桁行16間1尺 梁間24間 柱数155本 内 一重目より三重目まで通し柱13本 三重目 12間 10間 桁行13間2尺5寸 梁間11間1尺5寸 柱数127本 内 三重目より四重目まで通し柱32本 四重目 10間 8間 桁行10間5尺 梁間8間4尺 柱数75本 内 四重目より五重目まで通し柱9本 五重目 8間 6間 桁行8間4尺 梁間6間3尺 柱数55本 図面による復元での計算によると天守の高さは58 63メートルとなった 34 江府御天守図 寛永度天守図面 江戸図屏風 に描かれた元和度もしくは寛永度天守 寛永度天守の復元図 寛永度天守の復元模型 宮内庁 皇居東御苑 御殿 編集 本丸 二ノ丸御殿模型 江戸東京博物館 一部の建物は省略 幕末期の御殿を復元しており 実存していない天守も模型では再現されている 1 玄関 遠侍 2 大広間 3 松之廊下 4 白書院 5 竹之廊下 6 黒書院 7 御座之間 8 御休息 9 御小座敷 10 中之口御門 表諸職玄関 11 台所 12 上御鈴廊下 13 下御鈴廊下 14 御小座敷 大奥 15 対面所 16 御座之間 大奥 17 新御殿 18 御新座敷 御客座敷 19 台所 大奥 20 長局 21 広敷御門 22 二ノ丸御殿 御殿は本丸 二ノ丸 西ノ丸 三ノ丸御殿がある この内 三ノ丸御殿は 元文 年間に廃絶された 本丸御殿は将軍居住 政務 儀礼の場として江戸城の中心的な役割を持ち 二ノ丸御殿は将軍別邸や隠居した将軍の側室が晩年に過ごす場所として 西ノ丸御殿は隠居した将軍や世継の御殿として用いた 本丸御殿 編集 本丸御殿 22 000坪 は表 11 000坪 中奥 4 700坪 大奥 6 300坪 が南から北にこの順で存在する 表は将軍謁見や諸役人の執務場 中奥は将軍の生活空間であるが 政務もここ...
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  • Wikipedia
  • 江戸城の図
  • 江戸城の位置(関東地方内)
  • 江戸城の位置(日本内)
  • 本丸南東より天守台方向
  • 白鳥濠と本丸東側の石垣
  • 蓮池濠と本丸西側の石垣
  • 平川濠と本丸北側の石垣
  • 現在の本丸天守台。
  • 再建天守計画図(南面図)。
  • 再建天守計画図(東・西面図)。
  • 天守の代用とされていた富士見櫓。
  • 大正頃の本丸天守台。天守台の上には中央気象台の風力...
  • 『中井家指図』(慶長度または元和度天守とされる図面...
  • 『江戸御殿守絵図』(元和度天守とされる図面)
  • 江府御天守図(寛永度天守図面)
  • 『江戸図屏風』に描かれた元和度もしくは寛永度天守
  • 寛永度天守の復元模型(宮内庁・皇居東御苑)
  • 本丸御殿表向模型(右から白書院、松の廊下、大広間)
  • 白書院模型
  • 松の廊下から大広間
  • 本丸御殿表能舞台
  • 大広間上段西面
  • 大広間下段西面
  • 白書院上段下段
  • 『江戸図屏風』に描かれている西ノ丸御殿
  • 元治度西ノ丸仮御殿
  • 伏見櫓(2019年5月4日撮影。多聞櫓は伏見櫓を挟...
  • 富士見櫓(2019年5月4日撮影)
  • 本丸富士見多聞櫓
  • 富士見三重櫓
  • 手前が書院出二重櫓、奥が御書院二重櫓
  • 乾二重櫓(左は北桔橋門)
  • 数寄屋二重櫓(本丸から裏側)
  • 手前右が蓮池巽三重櫓、左が蓮池二重櫓(奥にあるのは...
  • 右から百人組二重櫓、寺沢二重櫓、蓮池巽三重櫓
  • 蓮池巽三重櫓、奥に見えるのは巽奥三重櫓(松倉櫓)
  • 左より巽奥三重櫓、東三重櫓
  • 巽二重櫓
  • 伏見二重櫓
  • 御太鼓櫓(右上の茅葺き屋根の櫓、『江戸図屏風』)
  • 日比谷櫓(『江戸図屏風』)
  • 和田倉櫓(『江戸図屏風』)
  • 三ノ丸大手門
  • 西ノ丸大手門(手前)
  • 中之門
  • 上梅林門(奥の櫓門)
  • 北桔橋門
  • 下乗門
  • 蓮池門
  • 下梅林門(右奥の櫓門、手前は番所)
  • 大手門
  • 桔梗門
  • 平河門
  • 坂下門(当初の坂下渡り門は枡形をした櫓門だったが、...
  • 西丸裏門(現在は移転して乾門)
  • 竹橋門
  • 和田倉門
  • 馬場先門
  • 日比谷門
  • 桜田門
  • 半蔵門
  • 田安門(2009年7月13日撮影)
  • 清水門(2010年4月5日撮影)
  • 一ツ橋門
  • 常盤橋門
  • 呉服橋門
  • 鍛冶橋門
  • 数寄屋橋門
  • 山下門
  • 幸橋門
  • 虎ノ門
  • 四谷門
  • 市ヶ谷門
  • 牛込門
  • 小石川門
  • 筋違橋門
  • 浅草橋門
  • 大番所
  • 百人番所
  • 同心番所
  • 文部科学省構内から発見された江戸城外堀跡の石垣(2...
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